黒縁メガネにスーツ姿、ポマードでセットした髪。理知的でクールな主人公・西幸一を、初期~中期の黒澤映画には欠かせない、若き三船敏郎が演じている。三船といえば時代劇スターのイメージが強いが、現代劇を演じる三船も、かなりイイ。都会的なインテリジェンスに、哀愁や荒々しさを漂わせ、観る者をこれでもかと魅了する。
「政治汚職」という社会の闇を題材に、スリルたっぷりの人間ドラマや痛快ストーリーを織り交ぜた、社会派サスペンスの傑作『悪い奴ほどよく眠る』。
コロナ禍やウクライナ危機、インフレの進行……。正義や信頼という言葉が空回りする激動の令和時代にこそ、あらためて観てほしい作品だ。
日本未利用土地開発公団の副総裁・岩淵(森雅之)の娘・佳子(香川京子)と、岩淵の秘書・西(三船敏郎)の結婚式が始まろうとしていた。広い会場には、公団と建設会社による数十億を超える汚職を嗅ぎつけた新聞記者たちも集まっている。式が始まる直前、公団の課長補佐・和田(藤原釜足)が逮捕され、ものものしい雰囲気の中で披露宴が進行する。
いよいよケーキ入刀という折、会場に登場したウェディングケーキをひと目見て、参加者たちの表情が凍りつく。そのケーキは、5年前にうやむやとなった不正入札事件の舞台である、新築庁舎ビルのかたちを模していたのだ。しかも、当時、公団の課長補佐だった古屋が飛び降り自殺した7階の窓には、真紅のバラが一輪突き刺さっている。
いったい誰が、なんのためにこんなケーキを送りつけたのか……。
謎に包まれたまま物語は進み、やがて、ケーキの贈り主が新郎の西だと判明する。西は、5年前の汚職事件で自殺に追いこまれた古屋の息子だった。娘の婿として岩淵に近づくため、戸籍を変え、身元を隠していたのだ。結婚式を皮切りに、西と親友の板倉(加藤武)による、汚職を繰り返す公団幹部へのダイナミックな復讐計画が幕を開ける。
1960年公開の本映画は、黒澤明監督が設立した黒澤プロダクションの第一回作品として注目を集めた。特筆すべきは、オープニングの結婚式シーン。新聞記者たちをストーリーテラーとして活用し、登場人物の複雑な相関関係や事件の背景をわかりやすく解明していく斬新な手法は、日本だけでなく海外でも、高く評価されている。
黒澤に影響を受けたフランシス・フォード・コッポラ監督は、本作から着想を得て、『ゴッドファーザー』(1972年)の冒頭を、結婚式のシーンにしたという。
結婚披露宴の主役だというのに、新郎の西を演じる三船は、ひと言もしゃべらない。しゃべらないどころか、顔色も表情も陶器でつくられた能面のように、人間らしさをまるで感じない。一方、佳子の兄・辰夫(三橋達也)の表情は、西とは正反対だ。お祝いのスピーチでは、足に障害をもつ妹を思いやり、「西、妹を必ず幸せにしてやってくれ。不幸せにしたら殺すぞ!」と、周囲の空気など一切読まず、まっすぐな気持ちを開示する。
副総裁の息子である辰夫が、自分の思いを奔放に語れるのは、日々好きなように暮らしている富裕層ニートであり、組織に属していないから。本音と建て前が、見えないビームのように錯綜する結婚式の場面で、辰夫だけが異質な存在感を放っていた。
序盤の結婚式こそ、さまざまな立場の人物が登場する、重厚で濃密なシーンの連続だが、中盤からは、エンタメ要素がぐっと強くなる。勾留満期で一旦釈放された和田は、幹部からの「あなたを信用しているから、よろしく」という、悪魔の囁きを受け入れ、自らが犠牲となって事件をうやむやにするため、火山の火口へ飛び込み自殺しようとする。そこに西が現れ、和田を助けたうえで、「一緒に巨悪と戦おう」と仲間に引き入れる。
翌日の新聞は、和田の自殺をセンセーショナルに報じ、告別式が行われた。公団幹部たちは「これでホッとしたな」「和田が死ぬのは仕方ないよ」と胸をなでおろす。しかし、思いもよらぬできごとが起きた。
汚職に深く関わっていた契約課長・白井(西村晃)の前に、死んだ和田の幽霊が現れたのだ。「ひぃ~、わ、わ、和田!! た、た、助けてくれ!!」と慌てふためく白井。翌日、幹部に「和田は生きています」と訴えるが、相手にしてもらえず、日に日に憔悴していくさまは、なかなか痛快だ。
「この5年間、親父の復讐だけを考えて生きてきた。法律はお前たち(役人)を裁けない。だから私が裁いてやる」
戸籍法違反、結婚詐欺、誘拐、拉致監禁など、数々の罪を犯しても、復讐を果たすため、巨悪に立ち向かおうとする西。しかし、後半に向かうにつれ、人間味のない能面のような表情に、少しずつ変化が現れる。
たとえば、若いころから互いに信頼し、人生を共に歩んできた親友・板倉と、昔を懐かしみながら会話を交わす、爽やかな笑顔。また、当初は偽装結婚のつもりだった敵の娘の佳子を、いつしか大切な存在として意識するようになり、ようやく互いの想いを伝えあったときの、愛に満ちた表情。
本来の西は、こんなにも温かく、切なく、やさしい顔をもっているのだ、と惹きつけられずにはいられない。
細かいことをいえば、佳子の純真無垢(?)な人物像に、もう少し深みがほしい。「お父様が悪い人だなんて信じられない。私には、とても良いお父様なのに……」と嘆くだけ。ちょっと自分で調べるだけで、これまで父が積み重ねた、ごまかしや裏切り、人の死に関わる不正まで、さまざまな悪事に気づけたのに。
そうそう、最後に本作のタイトルである『悪い奴ほどよく眠る』の「悪い奴」がだれを指しているのか、いまの時代にも照らし合わせながら、じっくり考察してほしい。
文:小川こころ(文章スタジオ東京青猫ワークス代表)
<作品データ>
『悪い奴ほどよく眠る』(THE BAD SLEEP WELL)
監督:黒澤明
脚本:小國英雄、久板栄二郎、黒澤明、菊島隆三、橋本忍
製作:田中友幸、黒澤明
出演:三船敏郎、森雅之、香川京子、三橋達也
1960年/上映時間150分/日本
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