さらに、孔子はこうも言っています。
子曰、郷原徳之賊也、
(巻第九 陽貨第十七13)
子の曰わく、郷原は徳の賊なり
その会社で「いい人」と呼ばれている人は、その人が会社の良さそのものに見えてしまうため、かえって社内の本来持つべきいい面を損なう、と私は訳します。
孔子は、「善人」をとくに欠点はないものの、取り柄もなく、流されていくだけの人物と見ていて、目指すべき人間像とは考えていませんので、ただ善人という存在にはかなり厳しいのです。
このことから、孔子の考えるリーダー(君子)としての言動は、信念である「仁/義」を含めて、常に学問によってアップ・トゥ・デートし、それを断行していく人だと考えることができます。
封建社会では、トップが絶対であり、家長である父親が絶対だとされていて、しかも過去に築かれたこと(祖先が積み上げたもの)を重視するため、時代による変化は許されませんでした。これが閉塞的な社会を生み、硬直した思考から多くの人たちを犠牲にするような間違った判断にまで至り、それを止める者もいなかったのです。
滅びの美学というか、義に殉じて死んで行くような世界ではあるのですが、智(知)、信、礼が学問によって常に変化していくものだとすれば、「仁/義」の根本は変わらなくても、行動は変化していくはずですし、この変化は恐れてはならず、むしろ歓迎すべきなのです。
かつての日本(江戸時代、明治時代から太平洋戦争まで)では常識だったことが、現代では必ずしも常識ではありません。
国際紛争を戦争で解決するのではなく、交渉や協議によって解決していく、または小規模の戦闘で収めようとする。性差を当然とするのではなく、誰にとっても働きやすく生きやすい社会にしていこうとする。このような考えから、政府が率先してLGBTなどマイノリティに目を向けることが当然となってきているなど、時代は刻々と変化し、それによって、信や礼のあり方も変化します。
変化は正直、気持ち的にシンドイですし面倒です。いろいろな犠牲を伴うものですが、学問によって裏打ちされた変化は、むしろ犠牲を最小にできるはずで、そういう道を選択することがよりよい未来につながっているのです。
※『論語』の漢文、読み下し文は岩波文庫版・金谷治訳注に準拠しています。
文・舛本哲郎(ライター・行政書士)