思考停止を突破する、学問によってアップ・トゥ・デートしていくには、私たちはどうあるべきでしょう。
子貢問曰、郷人皆好之何如。子曰、未可也。郷人皆悪之何如。子曰、未可也。不如郷人之善者好之、其不善者悪之也。(巻第七 子路第十三24)
子貢(しこう)問いて曰わく、郷人(きょうじん)皆なこれを好(よみ)せば何如(いかん)。子の曰わく、未だ可ならざるなり。郷人皆なこれを悪(にく)まば何如(いかん)。子の曰わく、未だ可ならざるなり。郷人の善き者はこれを好(よみ)し、其の善からざる者はこれを悪(にく)まんには如(し)かざるなり。
とくに重要なのは、「郷人の善き者はこれを好し、其の善からざる者はこれを悪(にく)まんには如かざるなり」という部分でしょう。「郷」は土地とか地域の意味でしょうが、このまま「企業」など集団として考えてもいいでしょう。
弟子の子貢は、孔門十哲の一人です。思いきり私なりに訳すと、弟子の子貢から、「会社の社員たちに人気のあるリーダーはどうでしょう」と尋ねられた孔子は「人気があるだけじゃダメだな」と。「では、社員から憎まれている人はどうでしょう」というので「もちろんダメ」とし、「善人というだけでもダメだし、悪人もダメ。社内の優れた社員たちが認めている人で、しかも社内でよくない人たちからは憎まれているような人が望ましい」というわけです。
論語での直前の言葉を見ておきましょう
子曰、君子和而不同、小人同而不和
(巻第七 子路第十三23)
子の曰わく、君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず
リーダーとして、仲間にはなるが、なんでも同意するような存在にはならない。つまり、集団に属するとはいえ、自分の意見を持つことが大事なのだとしています。だから、誰にもほめられるだけの善人ではダメで、悪い人からは憎まれているぐらいでなければ……となるのです。それだけ自分の考えを持て、ということでしょう。