岐阜市に本店を構える十六銀行は、その行名が示すとおり明治初期の1877年に創立した国立第十六銀行を源流とする。いわゆる国立ナンバーバンクの1つだが、日本最古のナンバーバンクであった新潟県の第四銀行が2021年に北越銀行と合併し、第四北越銀行となった。そのため十六銀行は、ナンバーを名称としてそのまま冠する銀行として、日本最古の銀行となった。
国立第十六銀行は、20年後の1896年に国立の名を外して私立銀行の十六銀行となり、今日に至る。特に第二次大戦前までに数多くのM&Aを実施してきた(下表)。
金融機関名 | 年 | M&Aの形態 |
岐阜銀行 | 1903 | 合併 |
岐阜倉庫銀行 | 1903 | 合併 |
濃厚銀行 | 1904 | 合併 |
富秋銀行 | 1911 | 合併 |
間銀行 | 1916 | 合併 |
竹鼻銀行 | 1928 | 合併 |
鏡島銀行 | 1930 | 買収 |
美濃銀行 | 1932 | 買収 |
八百津銀行 | 1937 | 買収 |
美濃合同銀行 | 1940 | 買収 |
飛騨銀行 | 1941 | 買収 |
恵那銀行 | 1942 | 買収 |
赤坂銀行 | 1942 | 買収 |
飛州貯蓄銀行 | 1943 | 合併 |
岐阜貯蓄銀行 | 1943 | 合併 |
岐阜信託 | 1944 | 買収 |
東濃信用組合 | 1972 | 買収 |
土岐信用組合 | 1998 | 事業譲受 |
岐阜銀行 | 2012 | 合併 |
そのM&A史の趨勢を見ると、明治期には周辺銀行を「合併」することによって営業基盤を拡充し、昭和初期には周辺銀行を「買収」することによって取り込み、規模の拡充を続けてきたことがわかる。
被合併・買収銀行にも、M&Aを重ねてきた歴史がある。その全体像を語れば、キリのない数の銀行・金融機関が収斂されて十六銀行は成長してきたことになる。
その過程では、1940年代前半、戦時統制下の一県一行主義に伴う私立銀行・貯蓄銀行の集約もあった。さらに、昭和後期から平成にかけては、信組など銀行周辺業務を取り込んできたことが窺える。
一連のM&Aの背景には、国立第十六銀行が士族出身者によって設立された銀行(士族銀行)が多かった国立銀行にあって、いわば平民出資の銀行であったことも関連しているのかもしれない。格式や慣習を重んじる士族とは異なり、平民・商人としての進取の気性、わだかまりのなさがあったようにも思える。
戦時統制下の一県一行主義として、十六銀行は1945年に国策により岐阜県下のもう1つの大手地銀である大垣共立銀行との合併を進めていたとされる。だが、その合併話は当時の岐阜・大垣周辺の空襲により立ち消えとなった。県内地銀の合併交渉は、戦禍に消えた。
十六銀行は、愛知・岐阜・三重の東海3県に本店を置く地方銀行では最大規模の金融機関となる。そのなかで特筆すべきは、2012年9月に第二地銀の岐阜銀行を合併したことであろう。
岐阜銀行は大正期から昭和初期にかけて岐阜県内に数多くあった岐阜無尽、幸無尽など4社の無尽会社が統合されて1942年に誕生した岐阜合同無尽が前身である。岐阜合同無尽はその後1948年に岐阜無尽に改称し、1951年には岐阜相互銀行に改称する。その岐阜相互銀行が1989年に第二地銀として岐阜銀行になった。
十六銀行はその岐阜銀行を2010年12月に株式交換によりまず子会社化したうえで、2012年9月に合併した。
東海3県において勇躍する十六銀行だが、岐阜銀行の合併直後、岐阜県議会の議決によって岐阜県の指定金融機関から外されている。指定金融機関を2年から4年での交代制とする県や市はあるが、議会で否決されて外された例はめずらしく、当時、地銀業界では大きな話題となった。その際に指定金融機関を交代したのは、かつて合併話のあった大垣共立銀行だった。
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