南都銀行は明治期から昭和初期にかけて、いくつかの国立銀行が合従連衡を経て、さらに私立銀行が加わって1934(昭和9)年に創立した。
まず、メインの国立銀行は現在の奈良県北部、奈良市の南西にある大和郡山市にあった第六十八国立銀行。第六十八国立銀行は1877年に設立され、その後、丹波市銀行、産業銀行を買収し、さらに1930年に四十三銀行を分割して買収している。この四十三銀行はもともと第四十三国立銀行という国立銀行で、和歌山県を主な地盤としていた。
南都銀行が1934年に創立した際には加わったのが御所銀行、八木銀行、吉野銀行という奈良県地場の3行。その後は1944年に大和貯蓄銀行を吸収合併し、1999年に奈良県信用組合の事業を譲り受けている。
「南都」とは奈良の古名。かつて「なんと、きれいな平城京」と平城京遷都の年号を710年と覚えた人には懐かしい語呂合わせだが、この「なんと」は「なんと!」という感嘆詞と、「南都」という古称の語呂合わせでもあった。
南都銀行で特筆すべきは、その本店の威容。元は第六十八国立銀行の奈良支店で、奈良県内では貴重な洋風近代建築物として知られる。
1997年に国の登録有形文化財の指定を受けた南都銀行本店は、アメリカ製金庫扉、窓口シャッター、消火栓、温水暖房、天井扇など近代的設備が随所に施されているギリシア様式の古典的な建築物だ。
特に目を引くのが正面のイオニア式円柱に施された「羊」の彫刻。鹿でないところがちょっと寂しいが、古代ヨーロッパで民に多くの富をもたらした家畜を金融機関のシンボルとして採用したといわれている。
1928年、六十八銀行は奈良支店を新本店とし、その後、南都銀行が誕生して以降は南都銀行本店となった。
奈良県および奈良市の経済は、微妙な立ち位置にある。北西部、生駒山地東麓周辺はいわゆる大阪のベッドタウンとして昭和から平成にかけて栄えてきた。だが、東、奈良市に向かうと広大な平城京跡が広がり、奈良市内中心部となると、古都のイメージを重視しているためか、ずっと開発に二の足を踏んできた感が否めない。
そのため、たとえば奈良県は「法隆寺周辺の仏教建造物」「古都奈良の文化財」「紀伊山地の霊場と参詣道」と3つの世界遺産がある日本有数の観光地でありながら、奈良県内のホテル・旅館の客室数は9197室で、 全国最下位にある(厚生労働省2017年度調査)。また、国土交通省の調査では、2017年の奈良県の延べ宿泊者数は約265万人で全国46位だった。
大方の人は奈良県・奈良市を観光立県・立市であると思うだろうが、ほとんどが京都・大阪からの日帰り客だったのである。
関東在住の人に奈良県の県庁所在地・奈良市がどこにあるかを聞くと、地図上で「このあたり?」と奈良県の中央部を指す人が意外に多いはずだ。だが、奈良市は奈良県の北端に位置し、奈良県の中央部には面積672 k㎡以上を誇る日本一広い村である十津川村がある。
奈良県の中部・南部は険しい山に囲まれ人口も多くはなく、いわば銀行の“空白地帯”。ひょっとしたら、1996年に奈良銀行がりそな銀行に吸収合併されて以降、南都銀行が県内唯一の地銀となっても、同行に法人口座を持つ企業経営者以外には、影が薄い存在だったのかもしれない。
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