「バーモントカレー」や「シチューミクス」等、有名芸能人を多く起用したTVコマーシャルを多く見かけるハウス食品グループ本社<2810>。確立している自社プライベートブランドと巧みな広告により、「おいしさとやすらぎを」食卓に提供している。2015年、廃棄冷凍カツの横流し問題で高い商品管理体制につき脚光を浴びた「カレーハウスCoCo壱番屋」の運営を行う壱番屋にTOB(株式公開買付け)を実施。2016年には香辛料を手がけるギャバンも子会社化した。カレールウを中心にレストランやスパイスまで事業を拡大するハウス食品のM&A戦略をひも解いていく。
創業者である浦上靖介は、1892年に徳島の士族の家に生まれる。僅か10歳で単身大阪へ出たのち、兄の経営する船場の薬種問屋で商売の修行を積む。21歳の時に独立を決意し、ハウス食品の前身となる「浦上商店」を開業した。浦上商店は、肉桂、大黄などの和漢薬品、丁子、唐辛子、クミン、セージなどのソース原料、また松脂粉末、アラビア糊、硫酸、炭酸などの工業薬品類を取り扱う薬種科学原料店であった。
同社にとっての転機は、実はM&Aによって訪れている。
浦上商店は1921年、得意先からカレー粉の販売を委託され、カレー粉の研究をスタート。研究をしていたさなか、1926年、「ホームカレー」の商標でカレー粉を製造販売していた稲田食品製造所の社長より、「会社を譲りたい」と申し入れがあった。当時の日本人のほとんどはカレーを食べたことがない、というレベルの知見度だった様子で、市場としては非常に未成熟なものだったという。浦上も非常に悩んだものの、夫人の後押しもあり、この申し入れを受諾した。
この翌年の1927年は日本におけるカレーの黎明期で、中村屋の「純印度式カリー」や、東京の下町のパン屋さんで「カレーパン」が誕生するなど、市場の啓蒙が進んでいった。浦上商店もこの流れに乗るべく、1928年に「ハウスカレー」に商標を換え、小売店での実演販売や、パッケージを象った宣伝車など、本格的な宣伝活動に乗り出した。その後も順調に改良を重ね、同社の主力商品へと変貌を遂げていく。
途中、太平洋戦争等により食料統制がかかったものの、戦後の1949年に「株式会社ハウスカレー浦上商店」に社名変更・製造再開を為し、1959年には東大阪工場内にて固形ルウの「印度カレー」工場を新設するなどしている。このような流れからも、同社内でのカレーが主軸になっていっている点が伺える。
1960年には、「ハウス食品工業株式会社」へと社名変更をする。その後も子供向けに林檎や蜜柑を材料に加えた「バーモントカレー」や、「ククレシチュー」の発売によるレトルト食品分野参入などを果たしている。1973年に「シャンメン」により即席麺分野、1977年には「ポテトチップス」によりスナック、1983年には「六甲のおいしい水」飲料分野に参入。この時点で大凡は今あるハウス食品への姿へと変革をとげた。1993年には、現在の「ハウス食品株式会社」へと社名変更をする。
浦上博史社長は創業者の浦上靖介氏の孫。三井住友銀行を経て1997年にハウス食品に入社。2009年に当時43歳の若さで社長に就任した。51歳。
ハウス食品の上位株主
氏名又は名称 | 持ち株数(株) | 持ち株割合(%) |
ハウス興産株式会社 | 12,585,616 | 12.25 |
株式会社HKL | 6,700,000 | 6.52 |
株式会社三井住友銀行 | 3,668,027 | 3.57 |
公益財団法人浦上食品・食文化振興財団 | 2,872,200 | 2.8 |
味の素株式会社 | 2,693,543 | 2.62 |
ハウス恒心会 | 2,123,701 | 2.07 |
浦上 節子 | 2,016,569 | 1.96 |
日本生命保険相互会社 | 1,844,810 | 1.8 |
日本トラスティ・サービス信託銀行株式会社(信託口) | 1,761,400 | 1.71 |
三井住友信託銀行株式会社 | 1,750,000 | 1.7 |
計 | 38,015,866 | 37 |
2016年3月末時点、有価証券報告書に基づき作成
筆頭株主のハウス興産は元社長の浦上郁夫氏の妻、浦上節子氏が代表取締役を務める資産管理会社。2.62%を保有する味の素は2016年5月にTOBを実施したギャバンの元親会社である。