もともと横浜銀行の創立は、1920年の横浜興信銀行の誕生とされている。それは間違いないことだが、実はその横浜興信銀行には、横浜銀行にとって“前史”とも呼ぶべき歴史がある。横浜興信銀行は、1878年に設立され茂木銀行や横浜貯蓄銀行をM&Aした第七十四国立銀行が破綻し、いわばその受け皿として設立された銀行である。
また、前ページ表にあるように、1928年に横浜興信銀行がM&Aした第二銀行は、国立銀行としては歴史が最も古い部類の1874年に設立された第二国立銀行である...
「いよぎん」の名で親しまれる伊予銀行。そのルーツは第二十九国立銀行と第五十二国立銀行にあるが、さらにさかのぼると、明治初期に県南西部に設立された銀行類似会社にたどりつく。いよぎんは、その銀行類似会社から、どんなM&Aを経て誕生したのか。
「山陰合同」という名称より「ごうぎん」の名で親しまれている山陰合同銀行。その名称は、1889年に設立された松江銀行と1894年に設立された米子銀行の合併による。その山陰合同銀行が新しい合同に舵を切った。地銀のモデルケースとなり得るか。
2020年10月に合併が予定されている十八銀行(長崎市)と親和銀行(佐世保市)。しのぎを削ってきた地域有力地銀は、ふくおかFG、西日本FG、九州FGという九州地区の地銀再編のなかで、両雄並び立たずなのか。
ご当地銀行の合従連衡史の4回目は、鹿児島。地元金融界の支柱的な存在である鹿児島銀行は2015年、熊本の肥後銀行と共同株式移転方式(持株会社の設立)により合併し、九州フィナンシャルグループ(九州FG)の子会社となった。