日本各地の「地銀」のルーツをたどってみよう。そのM&A=合従連衡の歴史をひも解けば、銀行や金融経済の成り立ちはもちろん、日本の伝統産業、商業の集積の移り変わり、各都道府県内にある市町村の歴史の“格”の変遷なども見えてくる。

“ご当地銀行”の合従連衡史の2回目は、北海道から遠く離れて、沖縄。沖縄には現在、琉球銀行と沖縄銀行の2つの有力地銀があるが、ここでは琉球銀行<8399>を取り上げてみた。琉球銀行は現在の日本政策投資銀行、国際協力銀行、日本政策金融公庫、沖縄振興開発金融公庫のように、特殊法人である政策金融機関、特殊銀行として設立された。

米軍政府布令第1号の旗のもと……

琉球銀行は昭和23年5月、米軍統治下の沖縄に米軍政府の布令第1号「琉球銀行の設立」に基づく特殊法人として設立された。戦後の沖縄のインフレを抑制するとともに、沖縄経済の正常な発展を図るため、いわば「金融秩序の回復と通貨価値の安定」を目的として政策的に設立された銀行だ。

他府県の地方銀行と比較すると歴史は浅く、沖縄という独自の経済圏を培ってきた地域だけに、紆余曲折と思えるほどのM&Aは行われていない。設立時に大島中央銀行、宮古銀行、八重山銀行を合併してできた、ということがM&Aとしては特記すべき程度である。

当初は資本金の51%を米軍政府が出資し、米国の連邦準備制度とフィリピンの中央銀行をモデルに設立されたという。業務内容としては、米軍政府資金の預託機能や一般銀行業務に加え、通貨発行権、金融機関の監督統制権、加盟銀行に対する援助、不動産債券の発行権など、中央銀行的な色彩がきわめて強いものだった。誤解を恐れずにいえば、“米軍管理下の日銀”のような役割を果たしていたのかもしれない。

また、さらに昭和25年には、米軍政府より、外国為替公認銀行に指定され、昭和27年には米国財務省より米国政府公金受託銀行に指定されている。さらに昭和46年には、琉球信託の信託業務を買収した。

本土復帰後、普通銀行として業容を拡大

米国の傘下から離れたのは、本土に復帰した昭和47年のこと。本土復帰を控えた同年1月には沖縄において商法上の株式会社に改組した。

琉球政府立法としての銀行法によって営業免許を取得し、普通銀行に転換したのは、昭和47年5月のことである。米軍政府が保有していた琉球銀行の株式を沖縄県民へ広く開放し、普通銀行としてスタートを切った。本土復帰に伴う通貨交換では、ドルから日本円への切り替えなどに対応し、経済・金融制度の円滑な移行を推進し、同年10月、沖縄信託の信託業務を買収して普通銀行として業容を拡大していった。

なお、昭和58年に県内企業として初の株式上場を実現したことも特記すべきことだ。そして、平成18年から平成22年にかけて、公的資金400億円を完済し財務体質を強固にしている。