意外な大株主がずらり

では、その東京楽天地の大株主は誰か。2019年1月時点の大株主の状況を見ると、東宝が22.74%であり、阪神阪急ホールディングスが19.38%、そして出版社の文藝春秋が9.89%を保有している。

それぞれの大株主と親子関係にあるわけではないが、東京楽天地は関西で生まれ育った東宝と阪神阪急ホールディングスと密接なつながりがある。適用区分でいえば、東京楽天地は東宝株式会社と阪急阪神ホールディングス株式会社の持分法適用会社(関連会社)という位置づけだ。

大株主のうち、東宝と阪神阪急ホールディングスにつながりが深いのは、東京楽天地の創業の頃からだ。東京楽天地は阪急の創始者である小林一三の意向のもとに誕生した。大阪で見た宝塚の夢のような舞台を東京で! さらに大衆娯楽の殿堂を! と思ったのだろう。

小林一三は、東京でも娯楽の殿堂を築くことを夢見て、1932年には東京宝塚劇場を設立し、1934年には東京宝塚劇場を開場し、あわせて日比谷映画劇場を開場した。それが今日の東宝へと成長していった。その日比谷映画劇場の開場の頃、東京・浅草にも映画館を進出させようと考えた。しかし、実際にはうまくいかなかった。そこで、錦糸町駅前に土地を購入し、東京楽天地の前身である江東楽天地を設けた。

東京の楽天地が大阪由来のものと聞くと、愉快に思うか不愉快に思うかは人それぞれだ。だが、大衆娯楽は共通の言語のように、日本中を駆けめぐる。そのなかで、楽天地ビルは阪神阪急ホールディングスの百貨店・ファッションビルとは別のPARCOを選んだのかもしれない。きっと阪神阪急東宝グループとして、「東京で、有楽町に特化するか、浅草・錦糸町を選ぶか」といった議論もあったのではないだろうか。

ところで、なぜ出版社の文藝春秋が東京楽天地の大株主なのか。文藝春秋の創設者、菊池寛氏は周知のとおり、小説家・劇作家であり演劇界の牽引役を担っていた。片や東京楽天地の創業者・小林一三は、元来、文学青年でもあり、宝塚歌劇団の創設者として、また文化人として菊池寛氏と交流があり、敬慕の念を寄せ、遠くない間柄だったようだ。

東京楽天地が浅草に進出したきっかけとなった1951年のこと。「戦災で焼けた浅草寺の復興資金をつくるために、浅草六区の通称ひょうたん池の半分、1,000坪を楽天地で買ってほしい」という小林一三からの依頼もあり、交流のあった菊池寛と文藝春秋がその買収費用を一部出資した経緯があったという。

日本の娯楽文化は、実に深いところでつながりあっている。