【サカタのタネ】M&Aで世界にビジネスの「タネ」をまく

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再び海外市場へ

1931年に満州事変が勃発して国策としての開拓移民が増えると、満州国向けの穀物や牧草、野菜などの種子輸出が増え、販路も広がった。1942年には国策で種苗会社の企業合同が進められ、坂田商会も同年12月に解散、同業の4社と合同し「坂田種苗株式会社」として再出発し、武雄氏が社長に就任した。しかし、戦争の激化で種子輸出にも政府からの圧力がかかり始め、1945年5月の横浜大空襲では社屋が焼失する。失意の武雄社長は辞任し、山中湖の別荘に疎開した...

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