ただし、パーパスもウェイも、内向きのものと、外部ともつながったものがあって、そこを取り違えると社会性の欠けた、間違った「義」になっていきます。反社会の義は、自分たちだけの内向きの義です。企業や社会とのつながりを求めている私たちにとっての義とは、そこが大きく違います。
とはいえ、世の中が間違っていることもあり得るので、ここではこれ以上、深くは論じません。歴史を見れば、義を欠いた非常識な行動が、のちに勇気ある行動だったと称賛されることも皆無ではないので。
「知者は惑わず、仁者は憂えず」の意味として、知識、叡智によって「義」を正しく認識することが求められているのです。自己中な「義」にならないよう、そして「仁」にならないよう、その時々に、知との対話によってなにが正しい道かを明らかにしていかなければならないのです。
細かいことを言えば、「知」は常に「仁/義」に対して挑戦をしているのです。「それで正しいと言えるのか?」と。「いまの時代、それでいいの?」と。そのため、自分たちの「仁/義」こそが正義と決めつけてしまうと、「知」による疑問は、「あってはならない」となりがちなのです。
実際に、歴史でも、また孔子の教えから発展した朱子学においても、宗教的な絶対を求めていく過程で、「知」をないがしろにしていく傾向がありました。自分たちの信じているものが揺らぐことを、受け入れられなかったのです。
現代に生きる私たちは、そんなことはないはずですが、残念ながらいまもなお、知を受け入れることには限界があるような気もします。
相手を説得するためには、相手の「仁/義」がどのようなものかを「知」として認識しておくことも必要となります。そこに、こちらの「仁/義」と重なる部分はあるのか。そして相容れない部分はどこか。それを見つけていくことも、合併やM&Aにおいては、重要な摺り合わせになることでしょう。
公認会計士試験・受験生に向けてのメッセージ。最終回となる今回は、公認会計士に”なって”よかったことをお話します。
31歳で働きながら公認会計士を目指した筆者の独断と偏見による試験合格に役立つ勉強法を連載形式でお届け。今回は論文式科目の「租税法」についてアドバイスする。