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「ミキモト真珠島」帝国汽船と鳥羽町の買収劇の末に誕生した“真珠王”の島|産業遺産のM&A

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鳥羽港から橋(パールブリッジ)を渡って訪ねる「ミキモト真珠島」

経営母体としての御木本真珠島

御木本幸吉は相島を真珠ヶ島と称し、真珠の養殖を軌道に乗せていった。そして第二次大戦後の1951年3月、有限会社御木本真珠ヶ島が設立され、レジャー施設として御木本真珠ヶ島がオープンした。その後1954年9月に御木本幸吉は他界する。以後は1958年に御木本幸吉翁記念館を開設し、1970年には鳥羽港から島に渡れるようパールブリッジを完成させた。

会社としては、1971年に商号を有限会社御木本真珠島に改称する。御木本真珠がミキモトに社名変更したのは1972年。島名もミキモト真珠島に変更した...

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