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企業法務弁護士が語る「ベンチャー企業へのカーブアウト」
製薬企業によるベンチャー企業への事業のカーブアウトが広まっているという。カーブアウトは、創業者が1から始めるベンチャービジネスと異なり、母体企業から特許権等の承継対象資産の承継を受けて行うものであるため、問題も存在する。
最近、日本企業が欧米グローバル企業の特定事業部門を事業譲渡したり、カーブアウトを実施したりするケースが増えてきている。
「カーブアウト」とは、より大きなものから対象物を彫り出す、という意味で、企業がある事業を切り出して売却するM&A手法のことである。
単なる規模拡大、市場拡大を追求するのみならず、異業種企業の事業買収を通じた新規事業の創出、事業ポートフォリオの再編等、事業譲渡を通じて事業構造そのものを抜本的に見直す動きが加速化しつつある。
ご存じのとおり、多国・多拠点にわたるカーブアウトは難易度が高い。各国別の検討作業が必要になり、手間とコストがかかる。
経営者のリテンション(引き留め策)や退職金・ベネフィット、社員転籍等の重要性はすでに認識されているが、今回は、とりわけ通常見落としがちな人事基盤・システムの観点から、カーブアウトの際の留意点について述べたいと思う。
まず、事業の継続性を担保するために、買収後の経営体制の構築、社員の移籍・転籍、コミュニケーションとDay1までの制度的な受け皿の準備、文化の統合(カルチャーインテグレーション)は必須である。
海外複数か国でのカーブアウトを実施するためには、まず受け皿となる基盤が必要となる。買い手である日本企業の海外法人を受け皿とするケースもあれば、新規会社として立ち上げるケースもある。
一般的に、日本企業が欧米企業の事業譲渡・カーブアウトを実施する場合は、事業特性の違いや人事制度(等級や報酬水準等)の違いにより、新規会社を立ち上げるケースが多いと言える。
自前の海外法人での受け入れ、新規会社の立ち上げの場合であっても、人事基盤の面では①~④のようなシステム・オペレーションが必要不可欠となるだろう。
①人事基幹システム
社員の基本情報を管理するシステム。全社基幹システム(ERP)のみならず、会計、経費精算、各種セキュリティ・入退室、各種PCのアクセス権限等、あらゆるシステムに連携する
②給与システム(ペイロール)
時間管理、勤怠管理と合わせて社員に対して給与を支給するためのシステム。給与支払い実務は各国の法制度に基づく必要があるため、グローバルで単一のシステムを持つことは不可能であり、ローカルのシステムを活用する、あるいは、ペイロールベンダーにアウトソースするのが一般的である
③ペンション・ベネフィットプログラム
新会社を設立する場合には、ペンション(退職金・年金)やベネフィット(保険、福利厚生)のプログラムの設立が必要となる。とりわけ、欧米ではペンションやベネフィットへの関心が非常に高く、また、会社として負担するコストも高い。市場水準の検証を行いつつ、売り手の制度に準拠した形での制度設計を行うことが多い
④人事機能・組織体制
事業部門をカーブアウトする際には、いわゆるコーポレート機能は含まれないケースが一般的である。人事部門では、HRBP(人事ビジネスパートナー)、部門人事が対象となり、人事企画機能や人事オペレーション機能は含まれない。カーブアウト後の人事実務、オペレーションを行う体制、機能整備が不可欠である
本稿では、特に①と②に焦点を絞り説明を行う。
人事基幹システムは他のITシステムと連携するものであり、事業運営上不可欠である。しかしながら、多くの日本企業は、グローバルに対応できる人事システムをもっていないのが実態である。(図1参照)
図1 日本企業の一般的な人事システムの事例
日本企業の多くは、時間管理・勤怠管理・給与計算といった「ローカルシステム」に、人事基幹システムが統合されたシステムを利用している。時間管理・勤怠管理・給与計算は各国の法制度に基づいて実施するものであり、日本本社が使っているシステムをグローバルに展開することは技術的に難しい。
一方で、欧米を中心とするグローバル企業においては、「グローバルとローカルのシステムを切り離して」いる。人事基幹システムを含めてグローバルで共通化・標準化できるものはグローバル共通の人事システムを導入し、給与計算等はローカルシステムあるいはアウトソーシングという体系になっている。(図2参照)
図2 欧米企業の一般的な人事システムの事例
日本企業がクロスボーダーのM&Aを強化していくためには、人事基盤・人事システムの構築が不可欠であるが、とりわけ、カーブアウトの際には、図3に示した「人事基幹システム」と、給与計算等のローカルシステム(アウトソーシング)が最低限必要となる。
図3 カーブアウトの際に必要となる人事システム
人事基幹システムは社員の基本情報(社員区分、等級、報酬等)を管理するシステムであり、給与計算・時間管理のための基礎となる。海外複数か国となれば社員の出入りも多いため、エクセル等のマニュアル管理では限界があり、システムは欠かせない。
残念ながら「給与支払い・ペイロールが間に合わないから、従業員を転籍させることができない」という事態が現実では発生している。
事業やビジネスの観点からすれば、給与支払いのようなオペレーションはTSA(Transition Service Agreement)にすればいいのではないか、と思われる方もいらっしゃるだろう。しかし、現実はそのように単純ではない。
Day1以降、買い手に転籍した社員は、売り手にとっては雇用関係の一切ない「赤の他人」となる。「赤の他人」に給与を支給するためには都度買い手から給与、銀行口座、住所等の情報等を入手し、給与計算を実施するだけでなく、各種税金等の手続き・支払いを行わなければならない。当然のことながら、税金支払いのためには、「赤の他人」について各国の税務当局への届け出・申請が必要となる。
事業譲渡・カーブアウトをする売り手の狙いとしては、”少しでも早く”当該事業を売却することにある。その売り手が「赤の他人」に対して給与支払いを行うことは考えにくいし、万が一、売り手が受け入れたとしても、TSAコストが高額になるおそれがあるからだ。
全社基幹システムや会計システムのように事業の根本に直結するITシステムの検討はデューデリジェンスの早い段階からなされるが、人事システムは見落とされがちだ。
IT部門においても、人事部門においても人事システムの専門家が不在の場合、デューデリジェンスの段階で十分な検証がされず、クロージング間近になってから、人事基幹システムやペイロールが準備できていないと判明することは決して珍しいことはではない。
本来であれば、図4にあるとおり、Day1までに人事オペレーションすべての導入を終え、Day1とともに売り手へ転籍するのが理想的である。
図4 Day1までに人事として準備すべき事項
しかしながら、ペイロール、ベネフィット等の人事オペレーションの導入が間に合わないものの、事業上の観点・理由により、クロージング、Day1を延期できない場合もある。その場合は、人事基幹システム、ペイロールを単発でTSAの対象とするのではなく、社員そのものをリースすること(例:TSA Employment、Employee Lease Program)が欧米では一般的である。(図5参照)
社員をリースすることを回避したい場合には、各種人事システム、制度をクロージングまでに導入するための期間を設ける必要がある。
図5 TSAを活用する例
カーブアウトをする際には、通常の人事デューデリジェンスに加えて、買収先事業に、人事基幹システムやペイロールのシステムはあるのかをまず確認することが重要である。システムがある場合、それを新会社にコピー・移管することは可能かの検証も必要である。
通常のケースでは、売り手が使っているシステムについては当該売却事業だけに移管できないことが多いため、買い手が手配する必要がある。
通常の一般的な人事のデューデリジェンスに加えて、人事システムのデューデリジェンスも実施することによって、クロージング後の円滑な事業の移管を実現することができる。
繰り返しになるが、難易度が高いグローバル企業のカーブアウト案件では、国ごとの検討作業が必要となるため、工数が大きく膨らむ可能性がある。早期に専門家へ相談することが望ましい。
文:鈴木 康司(MERCER Multinational Client Group代表、グローバルM&Aコンサルティング代表)
MERCER Multinational Client Group代表、グローバルM&Aコンサルティング代表
東京大学法学部卒業後、住友商事(人事部)、人事系コンサルティング会社、会計系コンサルティング会社人事コンサルティング部門を経て、マーサージャパンに入社。
日本において人材マネジメントシステムの設計、導入支援に関するコンサルティング業務を経て、2002年より、タイ・バンコクを拠点としてアジアに展開する日系企業の組織・人材面でのコンサルティングに従事。主に、海外拠点の人事・人材の可視化、グローバル人事の構築・導入支援、次世代リーダーの育成、サクセッションプラン等のコンサルティングをメインで担当。
2008年より、日本企業のグローバル人事構築支援に加え、人事部門・機能の再構築・再編成、人事テクノロジー(タレントマネジメントのITシステム)に関するコンサルティングにも従事。
現在は、日本を代表するグローバル企業に対する組織・人事面でのコンサルテーション・アドバイザリー業に従事。
著書 『中国・アジア進出企業のための人材マネジメント』(日本経済新聞社、2005年8月) 『目標管理制度のための面談の進め方』(監修、日経ビデオ)
製薬企業によるベンチャー企業への事業のカーブアウトが広まっているという。カーブアウトは、創業者が1から始めるベンチャービジネスと異なり、母体企業から特許権等の承継対象資産の承継を受けて行うものであるため、問題も存在する。