1964年、常磐炭礦は事業の大転換を果たすべく、常磐湯本温泉観光を設立した。観光事業への進出だ。この常磐炭礦時代の常磐湯本温泉観光が立ち上げたのが、1966年に営業を開始した常磐ハワイアンセンター。現在のスパリゾートハワイアンズだ。
常磐炭礦は1970年に新常磐炭礦という会社を設立し、同年中に常磐炭礦に商号変更している。その常磐炭礦が商号を常磐興産に変更した。おそらく事業転換を図る際に、第二会社を設立し、経営資源を移行したのだろう。
当時、常磐興産は常磐湯本温泉観光を吸収合併し、常磐ハワイアンセンターの営業を継承、その一方で石炭生産部門を常磐炭礦に分離している。その常磐炭礦は1985年3月に茨城地区の終掘をもって事業を廃止し、常磐興産に吸収合併した。
常磐興産は1986年に主力事業を常磐ハワイアンセンターの運営に置いた。スパリゾートハワイアンズに名称を変更したのは1990年のこと。以後は、屋外施設「スプリングパーク」の開業、ゴルフコースの新設、世界最大の浴槽面積である露天風呂「江戸情話 与市」の設置、滞在型施設「ウイルポート」の開業、屋外施設「スパガーデン パレオ」の開業など、往時の石炭採掘とはまったく異なる事業への転換を果たした。
常磐興産が運営するスパリゾートハワイアンズは2011年3月の東日本大震災による営業休止と再開をはじめ大型リゾート施設の再生として注目を集めた。一方で「興産」の名のとおり不動産部門を拡充してきた。1983年に新設した不動産部門を2006年に関連のJKリアルエステートに吸収分割し、2010年には常磐興産がJKリアルエステートを吸収合併している。
石炭採掘事業としての「炭鉱」は、常磐炭田では過去のものにった。しかし炭鉱事業からさまざまな産業が生まれ育っている。たとえば、産出された石炭をこの地域で使用する事業は現在、常磐共同火力という会社になった。常磐炭田の低品位炭を活用した火力発電事業を目的に東北電力や東京電力との共同出資で設立され、火力発電所を有する卸電気事業者となっている。
また、1949年に常磐炭田、高萩炭礦の営業部門を分離独立し、石炭販売を主力に石油製品・一般燃料・鉄鋼品等の営業を展開する南悠商社という会社も常磐炭田が産んだ企業の1つと言っていいだろう。元をたどれば、足尾銅山の歴史とともに歩んできた古河財閥の古河機械金属のいわき工場も、常磐炭田が産んだ企業の1つと言える。
さらに1924年、ケヤキ材の座卓の製造から始まったクリナップが1970年代にいわき市に工場や拠点を置いているが、それも、旧鉱夫に支えられた企業の1つと言うこともできる。
同様に、1966年に小名浜工場を設立した耐火建材石膏ボード最大手の吉野石膏、1970年代から80年代にかけていわき市に相次いで蓄電池工場を設置した古河電池、1947年にたばこ香料の生産を目的として設立し、主力拠点となった常磐工場(1964年稼働開始、いわき市)を有する有機合成薬品工業もある。現在、同社はアミノ酸、医薬品原薬、工業薬品などを生産する。
一見すると炭田・炭鉱とは関連のない産業・企業に思われるものもあるが、それも、操業を支える人的資源があったればこその事業転換・創出だった。
文:菱田 秀則(ライター)
北海道江別市野幌にあるローカル商業施設「ËBRI」。ヒダという自主廃業した窯業会社の煉瓦造りの工場を自治体が2016年に商業施設に再生した。
大阪馬車鉄道が前身の阪堺電車。南海電鉄などとのM&Aを経て、1980年からは阪堺電気軌道として経営を続け、存続が危ぶまれる中、地元の足として欠かせない存在となっている。