「痛い目」に遭った中国市場

こうした北米依存のきっかけは、中国市場からの事実上の撤退だった。大林組は2010年の上海万博で「日本産業館」を建設したのを最後に、新規の受注活動はせず、現地法人を解散した。建設ラッシュに沸く中国市場からの撤退はもったいない気もするが、国内ゼネコン業界では「賢明な選択だった」と評価されている。中国・上海に残った駐在員事務所も施工した建築物の保守業務などの窓口となるだけで営業活動はしていないという。

2001年に中国が世界貿易機関(WTO)に加盟し、2003年に海外ゼネコンが全額出資子会社を設立できるよう規制が緩和されると、大林組はその年のうちに現地法人の「大林組(上海)建設」を設立した。当時、国内の景気低迷は長引き、「脱公共工事」の動きや人口減などで市場が縮小していた日本に見切りをつけ、海外への事業拡大するゼネコンが相次いだ。高成長を続ける中国市場は、日本のゼネコンにとっては「肥沃な市場」に見えた。大林組は年間50億円の受注を目指し、中国市場に参入する。国内ゼネコン各社も、競うように中国市場に乗り込んだ。

建設ラッシュに沸く中国市場に進出したが…

ところが中国ではゼネコンが建築事業を受注するためにはライセンスが必要で、建築できる建物の規模に応じて「特級」「1級」「2級」「3級」の4階級に分類されている。大林組は高さ120メートル以下のビルしか建てられない2級資格しか取得できず、高層の大型案件を手がけられなかった。大型案件を受注するには全案件に参画できる特級資格が必要だが、これを取得しているのはすべて中国企業ばかり。外資ゼネコンは1社も特級資格を取得できなかったのだ。

さらに2級ライセンスを維持するためには現地での150人の従業員の雇用が必要だが、そのためには年間50億円以上の売上高が必要となる。特級ライセンスを持つ中国企業と共同企業体(JV)を組もうにも、JV構成企業に格下ライセンスを持つ企業があればJV自体も格下扱いになる。特級ライセンスを持つ中国企業とJVを組んでも、大林組が参加すればJV自体が2級扱いとなるため、大型工事には参加できないのだ。

2010年9月には中国河北省にある旧日本軍の化学兵器を無害化する処理施設工事の入札準備のために視察をしていたフジタの日本人社員4人が中国政府に拘束されるなどのトラブルもあり、ゼネコン業界で一気に「中国熱」が冷めた。一方、豊富な中国の建設案件を独占的に受注することで、中国鉄建などの現地企業は「スーパーゼネコン」として海外へも進出。日本のゼネコンを脅かす存在になっている。