日本最初のロードショー劇場を自他ともに認める「有楽町スバル座」。半世紀を超える歴史にピリオドを打ち、10月20日の閉館まで残すところ1カ月となった。その生い立ちは戦後、日本を占領した連合国軍総司令部(GHQ)の映画配給政策と密接にかかわっている。

GHQ設立のセントラル映画社といち早く契約

JR有楽町駅日比谷口を出てすぐ目の前が有楽町スバル座。有楽町ビルというオフィスビルの2階にあり、座席数は270席と中規模。日本で最初のロードショー劇場として知られた「丸の内スバル座」を受け継ぎ、有楽町ビルの完成とともに、1966年に有楽町スバル座として再オープンした。看板に「ロードショー発祥の劇場」と記されているのもこのためだ。

前身の丸の内スバル座は終戦翌年の1946年にオープンした(1953年に火災で閉館)。GHQ占領下、廃墟の日本で、米国映画はいち早く復活を遂げた。映画を通じて日本の民主化や対米意識の友好化を促す狙いが込められていた。その一翼を担ったのがスバル座だった。

GHQは米国映画の配給会社としてセントラル映画社を組織化。併せて、一般公開(封切り)に先立ち、上映するロードショー劇場の設立を進めていた。そうした動きの中、セントラルと真っ先に契約したのがスバル座だったのだ。GHQの本拠があった旧第一生命館(現DNタワー21)は目と鼻の先にある。ちなみに第1号のロードショー作品は「キューリー夫人」。

ロードショー(roadshow)とは新作演劇の一部を宣伝のために路上で演じること。映画の先行上映もこれに由来する。もっとも今では、日本でロードショーといえば、映画の封切りを指し、本来の意味で使われることはない。

後に映画評論家として名をなす淀川長治さん(故人)も当時のセントラルに籍を置いていた一人。地方都市などでセントラルと名の付く映画館が今も残るが、これもかつてのなごり。

スバル興業は高速道路の維持・補修会社に“大変身”

スバル座の運営会社は東宝子会社のスバル興業で、現在、東証1部に上場する。1946年2月に映画などの興行を目的に発足し、同年9月に洋画特選劇場「丸の内名画座」、12月に洋画封切劇場「丸の内オリオン座」、洋画ロードショー劇場「丸の内スバル座」を相次ぎ開館した。

名画座は1966年、オリオン座は1953年にすでに閉館。曲折を経て残っていたスバル座も今回、歴史の幕を下ろす。「今後の映画興行事業の展望や施設の老朽化などを総合的に判断し、閉館を決定した」という。

そこで気になるのが当初は映画興行でスタートしたスバル興業の今後。実は大変身を遂げている。高速道路補修の維持・清掃、補修工事をメーンとし、倉庫賃貸や太陽光発電事業も手がける。2019年1月期の売上高は251億円。

10月5日からフィナーレ上映

スバル座のフィナーレを飾り、10月5日から20日まで特別上映が行われる。洋画はイージーライダー、駅馬車、卒業、ローマの休日など、邦画では七人の侍、太陽の季節、東京裁判など、合計48作品が予定されている。

GHQの庁舎として接収された旧第一生命館(現DNタワー21、東京・有楽町)

文:M&A Online編集部