山形県鶴岡市に本社を置く荘内銀行は、同県の日本海に面した庄内地方を営業基盤としている。その創立は1878(明治11)年12月、第六十七国立銀行の創業にさかのぼる。山形県では唯一、国立銀行を前身とした銀行であった。
ちなみに「荘内」はかつてこの地域にあった遊佐、大泉、櫛引の三大荘園のうちで最も栄えた大泉荘に由来するのが定説とされ、この「荘園の内側」を示す言葉とされる。それが、のちに「庄内」と呼ばれるようになったようだ。いまは汎地域名を示す場合は「庄内」が一般的だが、団体名や企業名では固有名詞として「荘内」を使うケースも多い。
第六十七国立銀行は創業の約3年後の1881年1月、県内の第百四十国立銀行を合併し、創業20年後に国立銀行としての営業年限が切れたあとは六十七銀行として営業を続けた。そして1941(昭和16)年4月、六十七銀行、鶴岡銀行、風間銀行、出羽銀行の4行が合併して荘内銀行が創立した。第2次大戦下の一県一行主義のもとに統合され、誕生した銀行である。
荘内銀行は以後も地場の金融機関として、積極的にM&Aを推進してきた。同年12月には新庄銀行の営業を譲り受け、1943年10月には荘内貯蓄銀行を吸収合併している。
なお、荘内銀行では1942年4月に安田銀行の鶴岡支店・酒田支店の営業も譲り受けている。安田銀行は戦前、安田財閥の中核企業であり、のちの富士銀行からみずほ銀行につながっていく大手行だ。
「その安田がなぜ、荘内に営業を譲るの?」と思うかもしれないが、安田財閥の2代目善次郎のもとに、荘内銀行の実権を握っていた庄内藩主・酒井家の女性が嫁いでいる。このように女性の嫁ぎ先を通して培った共同体・勢力を閨閥と呼ぶケースもあるが、安田銀行・財閥の安田家と荘内銀行の酒井家にはそのような縁があったようだ。荘内銀行は1961年8月には富士銀行米沢支店の業務を継承している。
1996年には東邦銀行(福島県)の山形支店の営業を譲り受けた。1999年5月には、仙台銀行(宮城県)の山形支店の営業を譲り受けている。
庄内地方に強固な営業地盤を持つ荘内銀行は、金融関連事業を事業部門や別法人として設立しグループ化する一方、山形県の県庁所在地、山形市については隣県地銀の山形支店の営業を譲り受けることで地盤を拡大していった。
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