正しい動機とそれにふさわしい方法を探ること

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「ふさわしい方法」として孔子が想定しているのは、仁に基づいたプロセスです。渋沢翁の「道理」もそこに含まれます。前回、この連載では、仁を「なぜ」つまり動機とし、そこから派生してビジョンやミッションに通じていると解釈しました。では、なぜ富が必要なのか。なぜ利益が必要なのか。「そんなもの、誰だって欲しいに決まってる」で、すませていないかと問うているのです。おもしろいのは、富も貧乏も、ふさわしい方法でそうなっている場合には、その点をよく考えてほしいと孔子は考えている点です。

 ふさわしい方法──。自分で選んだやり方が正しければ、富を得られる。間違っていれば貧乏になる、と言っているのではありません。自分で選んだ正しいやり方でも、もしかすると貧乏になっていくこともあるのです。

 自分としては正しいと思ったことを貫いた結果、富を得られずに貧乏でいる場合もあります。仁があれば必ず富むわけではありません。ですが、人間力としては、たまたま富とは結びついていない状態だとしても、仁に基づく道理を貫いていることのほうがずっと大切だと考えています。