光太との関係は、夫・正文から意思を尊重されないという梨花の空虚感から始まったのだろう。梨花は光太から頼られ、光太の笑顔を見ることで自尊心を取り戻していく。
もし梨花と正文の関係が良好だったなら、梨花は多くの富裕層の固定客を持ち、たまえのような扱いづらい客にも親身に接する優秀な外務員として頭角を現していただろう。
梨花が転落していく様は、ほんのちょっとの乾きが、道を踏み外す理由となり得ることを教えてくれる。自分自身だけでなく、周囲の人の成功のためにも、お互いを尊重し合い大切に思う姿勢は忘れないでいたい。
梨花は中学時代に通っていたカトリック系の女子校で、“受けるより与える方が幸いである”という考えに強く共感していた。それは、恵まれない国の子どもたちへの募金のために「親の財布から金を抜く」ほどに・・・。
この考えは梨花が大人になった後も強く影響しており、心の拠り所となった光太へ”与える”ことでしか幸せを感じる事ができなくなっていた。光太が梨花の金を頼りに満足に働かず、光太のために借りたマンションで浮気をされても許そうとするほど。
しかしこの梨花の”与える”行為の裏には、光太のためではなく梨花自身が満足するためという、利己的な理由が隠れている。
エンディングで梨花は、逃亡先のタイで出会ったひとりの男に出会う。彼はかつて梨花の募金に感謝の手紙を書いていた少年だった。彼は純粋な善意から、梨花に果物を差し出す。
日本のことわざに「情けは人の為ならず」がある。人への好意は巡り巡って自分に返ってくるから親切にせよ(巡り巡りて己が身の為)という意味だが、これは親切な行動に含まれる利己的な面を肯定しているともいえるのではないだろうか。
梨花は受け取った果物をかじり、お礼を言わずにその場を立ち去る。まるで、もらうことが当然であるかのように。
文:M&A Online編集部
<作品データ>
『紙の月』
原作者:角田光代
監督:吉田大八
出演:宮沢りえ、池松壮亮
2014年/日本/2時間6分
©2014 「紙の月」製作委員会