今年6月、日本郵便は元局員が6億7000万円分の切手横領の疑いがあると発表した。先月には東レ<3402>の元社員が2億5000万円を着服して逮捕されたとの報道があった。
今年に限らず、従業員が勤務先から着服する横領事件は後を絶たない。今回は、銀行で働く平凡な主婦が、ふとしたきっかけで横領に手を染め転落していく様を描いた映画『紙の月』を紹介する。
『紙の月』は、2012年に出版された角田光代の同名小説を『桐島、部活やめるってよ』の吉田大八監督が、独特の視点で再構成した意欲作である。
バブルがはじけた1994年、梅澤梨花(宮沢りえ)は契約社員としてわかば銀行の渉外担当として働いていた。上客である平林孝三(石橋蓮司)から肉体関係への誘いを匂わされるようなセクハラを受け、顧客で痴呆気味の名護たまえ(中原ひとみ)に振り回される日々。それでも梨花は真摯に業務に取り組み、行内で高い評価を受けていた。しかし私生活では、共働きの夫・正文(田辺誠一)に軽く扱われ、やり場のない失望感に苛まれていた。
ある晩、梨花は銀行の送別会の帰りに孝三の孫で大学生の光太(池松壮亮)と再会する。光太は、梨花が孝三から迫られた際に助け船を出し、それ以来梨花に興味を持っていた。梨花が降りる駅で何度も待ち伏せする光太。やがて梨花も年の離れた光太に心を許すようになり、恋仲になっていく。
梨花はある日、客から預かった金から1万円を借りたことを機に、客の金に手をつけることに抵抗を失っていく。光太の学費を出すために、孝三から預かった定期預金の金200万円を横領したことで歯止めを失った梨花は、さらに多くの顧客から多額の金を横領し、光太との逢瀬に費やしていくのだった。
一方、支店の古株窓口社員である隅より子(小林聡美)は、バブル期に跳ね上がった給与額を理由に、本店庶務課への異動を打診されていた。窓口業務に誇りを持ち、頑として異動を受け入れないより子は、ある日梨花が定期預金証書をファイリングしている姿を見かける。本来窓口が担当する業務をおこなう梨花を見たより子は、梨花の不審な行動に疑問を持ちはじめる・・・。
以下、ネタバレを含みます
光太との関係は、夫・正文から意思を尊重されないという梨花の空虚感から始まったのだろう。梨花は光太から頼られ、光太の笑顔を見ることで自尊心を取り戻していく。
もし梨花と正文の関係が良好だったなら、梨花は多くの富裕層の固定客を持ち、たまえのような扱いづらい客にも親身に接する優秀な外務員として頭角を現していただろう。
梨花が転落していく様は、ほんのちょっとの乾きが、道を踏み外す理由となり得ることを教えてくれる。自分自身だけでなく、周囲の人の成功のためにも、お互いを尊重し合い大切に思う姿勢は忘れないでいたい。
梨花は中学時代に通っていたカトリック系の女子校で、“受けるより与える方が幸いである”という考えに強く共感していた。それは、恵まれない国の子どもたちへの募金のために「親の財布から金を抜く」ほどに・・・。
この考えは梨花が大人になった後も強く影響しており、心の拠り所となった光太へ”与える”ことでしか幸せを感じる事ができなくなっていた。光太が梨花の金を頼りに満足に働かず、光太のために借りたマンションで浮気をされても許そうとするほど。
しかしこの梨花の”与える”行為の裏には、光太のためではなく梨花自身が満足するためという、利己的な理由が隠れている。
エンディングで梨花は、逃亡先のタイで出会ったひとりの男に出会う。彼はかつて梨花の募金に感謝の手紙を書いていた少年だった。彼は純粋な善意から、梨花に果物を差し出す。
日本のことわざに「情けは人の為ならず」がある。人への好意は巡り巡って自分に返ってくるから親切にせよ(巡り巡りて己が身の為)という意味だが、これは親切な行動に含まれる利己的な面を肯定しているともいえるのではないだろうか。
梨花は受け取った果物をかじり、お礼を言わずにその場を立ち去る。まるで、もらうことが当然であるかのように。
文:M&A Online編集部
<作品データ>
『紙の月』
原作者:角田光代
監督:吉田大八
出演:宮沢りえ、池松壮亮
2014年/日本/2時間6分
©2014 「紙の月」製作委員会