地域活性化をテーマに大泉洋演じる町長が奮闘『プラチナタウン』
多額の負債を抱える架空の町「緑原町」を舞台に、故郷の町長へ転身するエリート商社マンの奮戦を描くビジネスドラマ。美しい北海道の自然を背景に、渦巻く権謀術数に立ち向かう若き町長を大泉洋が熱演する。
『トゥルーノース』清水ハン栄治監督インタビュー
北朝鮮強制収容所で過酷な毎日を生き抜く日系家族とその仲間たちの姿を3Dアニメーションで表現した『トゥルーノース』が話題になっている。北朝鮮の恐るべき実態を浮き彫りにしつつ、家族愛や仲間との絆・ユーモア、死にゆく者への慈しみの心情なども描かれ、ひとつの希望を見い出せるラストはアヌシーやレインダンスなど多くのメジャー国際映画祭で絶賛された。
製作したのはドキュメンタリー映画『happy - しあわせを探すあなたへ』のプロデューサーの清水ハン栄治監督。収容体験をもつ脱北者や元看守などにインタビューを行い、東南アジアのアニメーターのネットワーク「すみません」を立ち上げ、10年の歳月をかけて作り上げた。
自らも在日コリアン4世で、出版や教育事業を世界中で展開する清水監督に映画の世界に入ったきっかけや「すみません」立ち上げの経緯、作品への思いを聞いた。
――監督はアメリカに留学してMBAを取得し、リクルートに就職されましたが、仕事を辞めて『happy-しあわせを探すあなたへ』をプロデュースされました。安定した仕事を手放し、映画の世界に入ったきっかけからお聞かせください。
上司に恵まれ、仕事には充実感があり、すべてが順調でした。しかし、上司の姿から10年後、20年後の自分が見え、その幸せは僕が目指していたものとは少し違う気がしたのです。刹那的な快楽の繰り返しには限界があり、幸せを実感できていなかったこともありました。
このままでいいのかと思い悩んでいるときに、映画を作っているアメリカ人の友人からドキュメンタリー映画の制作に誘われたのです。テーマを聞いたところ、幸せとは何かを探るロードムービーとのこと。その日のうちに辞表を書いて渡米し、6年半かけて『happy-しあわせを探すあなたへ』を作りました。それが映画やメディア路線に入っていったきっかけです。
――『happy-しあわせを探すあなたへ』では監督ではなく、プロデューサーをされていましたが、資金集めなどを担当されたのでしょうか。
映画ではディレクターがアーティストで、プロデューサーはビジネスマン。本来はプロデューサーが資金集めをするのですが、ありがたいことに資金はすでに集まっていましたから、お金の苦労はありませんでした。
僕と監督は同じ目線でテーマの幸せについて、世に出ている文献を片っ端から調べました。その過程でカバーしなくてはいけないテーマが出てきたんです。
例えば脳医学や宗教、スポーツといったことで、テーマに沿って、脳医学の先生の話を聞き、チベットに行って瞑想を体験し、サーファーたちの幸せ度が高いというデータを見つければ、ブラジルのサーファーコミュニティに密着取材する。その段取りをしていくのがプロデューサーの仕事でした。
取材の過程で幸せについて解析するポジティブ心理学の資格を取りました。資金集めの大変さは2作目の『トゥルーノース』で思い知らされました。
――2作目に『トゥルーノース』を撮ることになった経緯もお聞かせください。
当時、『happy-しあわせを探すあなたへ』の制作と並行して伝記マンガのプロデュースもしていました。人権をテーマに世界で起こっている不条理について訴えることを主眼にしたマンガシリーズです。その2つが落ち着き、次のプロジェクトを何にするかを考え始めた頃、知り合いから北朝鮮の収容所問題の話を聞き、人権蹂躙の酷さを知りました。
次は世間の人に知ってほしい不条理を共有するプロジェクトにしようということは決めていたので、これは自分にぴったりのテーマだと思ったのです。
――マンガのプロデュース経験から実写ではなくアニメを選択したのですね。
収容体験を持つ脱北者や元看守の方にインタビューをし、収容所で起こっているエピソードを集めたところ、かなり厳しい現実がわかってきたのです。それを実写で伝えるとあまりにも残酷で、恐怖映画のようになってしまう。それではかえって伝わりません。アニメーションにすることでリアルには感じるけれど一線を引いたものにしました。
―― 本作では資金集めに苦労したそうですが…
このプロジェクトに10年費やしましたが、その半分以上が資金集めです。興味があると言われればどこにでも行き、プレゼンをしましたが、「面白いけれど危険性もあるので、お金は出せない」と言われることの繰り返し。アメリカやヨーロッパ、中南米にも行きました。
最終的に外部からは集まらず、自己資金でやることになり、スタートが5~6年遅れてしまったんです。そこから安く、かつクオリティーを落とさずに制作する方法を模索しました。
――それが東南アジアのアニメーターのネットワーク「すみません」なのですね。
いわゆるスタジオのような会社組織にすると固定費がかかり、雇用を確保するためにやりたくない仕事も引き受けなければいけない。それではアートを作る組織でありながら、商業活動がメインになってしまいます。そこでスタジオではなくネットワークという形式にしました。
僕らは仕事があるときはみんなで協力するけれど、終わったら一旦解散し、仕事が入ったらまた集まる。有機体みたいな関係です。
立ち上げは試行錯誤の繰り返しでした。少ないリソースでクオリティーを担保するにはどうしたらいいかを踏襲していき、今の形に落ち着きました。最初からビジョンがあったわけではありません。幸いにも今回、うまく機能したので、次もやりたいと思っています。
――監督は「すみません」においてどのような立場なのでしょうか。
ネットワークといっても法人格です。登記上は代表にはなっています。ただ、監督として作品のディレクションをするだけでなく、組織として回すためのマネジメントをしました。例えば、いろんな国を跨がっての作業でしたから、「このプラットフォームを使えばこういった連携が組める」といったシステムの構築です。また、みんなが気持ちよく作業できるようにトイレ掃除もしていました(笑)。
とにかく人手が足りない。僕が旗振り役で進め、前作を一緒に作った友人にも手伝ってもらいました。
――参加してくれるアニメーターをどのように集めましたか。
この映画でリードアニメーターをしているアンドレイ・プラタマというインドネシアの青年と出会い、彼がインドネシアのアニメーターに声掛けをして、人脈が広がっていきました。最初に彼と出会えて、とてもラッキーでした。
しかし、とにかくお金がない。腕の立つアニメーターはインドネシアでも高い。それは払えないので、アニメーターの養成所に行き、実力のある人を先生に紹介してもらいました。青田買いですね。
――この作品で初めてアニメーターとして仕事をした人も多かったのですね。
映画という括りでいえば全員が初めてでした。インドネシアは多くのアニメーションが作られていますが、ほとんどが他の国のCMやモバイルゲームの下請けです。インディーズ映画とはいえ、彼ら自身で長編映画を作るのは今回が初めてでした。
彼らは才能があるし、勤勉に働きます。しかし企画を立てて、キャラクターを設定し、ストーリーを作ることにシフトしていかないといつまで経っても使われているだけ。応援の意味を込めて「オリジナル作品を作るのがいちばんお金になる」と伝えています。といっても僕は全然儲かってませんが(笑)。
――収容体験を持つ脱北者や元看守の方などにインタビューを行ったとのことですが、取材対象者を見つけるのは大変だったのではありませんか。
北朝鮮の収容所問題のキーマン的な存在を見つけるまでが大変でしたが、その方と知り合ってからはスムーズに脱北者の方を紹介していただくことができました。
ただ、カメラ付きでインタビューした5人の内、名前を出さず、顔にモザイクを掛けることを求めた方が2人いました。日本で行った試写でも同じように顔出しNGの方がいました。それは自分たちの身に危険が及ぶというよりも残してきた家族に危害が与えられる可能性があるから。アイデンティティーは明かせないということを厳重に求められました。
――脚本作りも担当されていますが、苦労したことはありましたか。
取材して伺った話はどれも貴重な情報でしたが、エンターテインメントとして成り立たせるためには素材として吟味しなければいけません。過酷な状況を描くだけでなく、その中でいかに登場人物の成長譚にしていくか。そこに力を注ぎました。
とはいえ、初めのうちはなかなか筆が進みませんでした。そこで前作を一緒に作った友人と目標を決めて、それを達成できなかったらペナルティーを課すという約束を交わして、とりあえず毎日、何か書いていました。
するとある日突然、設定したキャラクターが頭の中で喋り出したのです。まるで何かに憑りつかれたかのように書いていきました。
僕が書いたというよりもキャラクターが勝手に話してくれた感じですね。走り出すとあらすじもさっと書けました。花が咲くのと同じ。土の中で種のまま、芽が出る時期がくるのを長い間待っていて、芽が出たらあっという間に成長して花が咲いたといった感じです。面白い経験をしました。
――監督は在日コリアン4世とのことですが、自分がヨハンになっていたかもしれないという思いをヨハンに込めていたのでしょうか。
ヨハンやヨハンの父親は自分に起こっていたかもしれないこととして描きましたが、実は彼らだけでなく、どのキャラクターもベースは僕から出ています。
人間って絶対的に良い人や悪い人はいません。今いる状況の中でいかに自分をいい人に近づけていくか。誰もが葛藤し、もがいています。そこに幅があることを認知しながら、その人間性が堕落していくとこうなるというのが悪いキャラクター。いいキャラクターはその逆で作っていきました。
――『トゥルーノース』というタイトルには2つの意味を込めたと聞きました。どんな意味があるのでしょうか。
まずは言葉通り“北朝鮮の現実”です。もう一つは英語の慣用句で、羅針盤がいつも北を向いているのと同じで“どんなときでも人間として向かわなくてはいけない方向、生きる目的”という意味です。
主人公は地獄のようなところにいて、紆余曲折あるものの、最後は自分の生きる目的を見つけて、そこに向かって一生懸命に進んでいく。コロナで辟易としている毎日だけれど、目的を見失わないでがんばっていこうよというメッセージも込めました。
――最後にひとことお願いいたします。
北朝鮮の話は話題性があるので、そこが先行してしまうのは仕方ないのですが、この作品は北朝鮮の惨状を伝えるだけで終わらせたくない。私たちは日々の生活が忙しく、『トゥルーノース』の2つめの意味である“我々はなぜ生きているのか”という普遍的な問いについて、なかなか考えられませんが、1人の青年の悲喜こもごもをきっかけに、生きる目的を改めて考えてもらえればと思っています。
取材・文:堀木 三紀(映画ライター/日本映画ペンクラブ会員)
<清水ハン栄治監督プロフィール>
1970年、横浜生まれの在日コリアン4世。「難しいけれど重要なことを、楽しく分かりやすく伝える」をモットーに映像、出版、教育事業を世界中で展開。
2017年のTED Resident、University of Miami MBA、著書に「HAPPY QUEST」がある。東南アジアのアニメーターのネットワーク「すみません」主宰。2012年より62ヵ国で公開され、世界の映画祭で12の賞を獲得したドキュメンタリー映画「happy - しあわせを探すあなたへ」をプロデュース。人権をテーマにプロデュースした偉人伝記漫画シリーズは世界15ヶ国語に翻訳されている。
帰還事業で北朝鮮に渡航後に消息を絶った在日同胞の話を幼い頃から聞いて育ってきた。本作『トゥルーノース』は初監督作品となる。
<あらすじ>
1960年代の帰還事業で日本から北朝鮮に移民し、平壌で幸せに暮らすパク一家は、父の失踪後、家族全員 が突如悪名高き政治犯強制収容所に送還されてしまう。過酷な生存競争の中、主人公ヨハンは次第に純粋で優しい心を失い他者を欺く一方、母と妹は人間性を失わず倫理的に生きようとする。そんなある日、愛する家族を失うことがキッカケとなり、ヨハンは絶望の淵で「人は何故生きるのか」その意味を探究し始める。やがてヨハンの戦いは他の収監者を巻き込み、収容所内で小さな革命の狼煙が上がる。
<作品データ>
監督・脚本・プロデューサー:清水ハン栄治
音楽:マシュー・ワイルダー
声の出演:ジョエル・サットン、マイケル・ササキ、ブランディン・ステニス
配給:東映ビデオ
2020年/日本/インドネシア/カラー/94分
©2020 sumimasen
6月4日(金)よりTOHOシネマズ シャンテほかにて全国公開
公式サイト:https://true-north.jp/
多額の負債を抱える架空の町「緑原町」を舞台に、故郷の町長へ転身するエリート商社マンの奮戦を描くビジネスドラマ。美しい北海道の自然を背景に、渦巻く権謀術数に立ち向かう若き町長を大泉洋が熱演する。