みなさん、こんにちは。MAOです。
11月8日(木)に東京・新橋のベルサール汐留で、ダイヤモンド社主催・ストライク協賛のセミナー「M&Aを活用した成長戦略」が行われました。経営者やM&A責任者限定のセミナーですが、MAOも特別に参加。セミナー当日の様子をみなさまにお届けします!
まずはじめに、ブリヂストン元CEOの荒川詔四さんが登壇。1988年にブリヂストン<5108>が行った米ファイアストン買収の背景や経緯、このM&Aを通しての気づきや学びを語ってくれました。
ブリヂストンは、ご存知、タイヤ事業がメーンの企業。建設・鉱山用車両や航空機といった特殊タイヤに強く、世界最大のタイヤメーカーです。
ブリヂストン | |
---|---|
設立年 | 1931(昭和6)年 |
創業者 | 石橋正二郎 |
業績(連結/2017年12月期) | 売上高:3兆6,434億円 純利益:2,882億円 |
従業員数 | 142,669人 |
そして、世界No.1になる契機となったのが、米ファイアストン買収でした。「タイヤは国際規格商品のため、規模が重要になってくる」と荒川さん。1980年代当時、生産能力が過剰になり、タイヤ業界全体の業績が悪化。まさに業界再編の時を迎えていたそうです。当時、業界3位で超優良企業でもあったブリヂストンは、ともすれば買収の対象にもなる可能性がありました。
そこで、先手を打つようにして、1988年にファイアストンを買収。26億ドル(約3,300億円)という買収額は当時の日本企業の中でも最大規模の額でした。
そんな大型M&Aの背景にあったのは、業界再編という流れはもちろん、やはり世界No.1になりたいという長年の思いがあったそうです。
工場増設などの設備投資をはじめ、それに見合う販売網の構築や顧客獲得などを自力で行い、世界No.1になるのには資金も時間もかかります。そこで、既存リソースを活用すること、つまりM&Aを行うという結論に至ったのだそうです。
当初はタイヤ事業においてファイアストンとの合弁事業の交渉が進められていたものの、当時業界6位だったイタリアのピレリがファイアストン株に対してTOBを仕掛けてきたため、ブリヂストンが全事業を買収して完全子会社化することに。当時、社長秘書としてファイアストンのM&Aに携わった荒川さんは「デューデリジェンスをしっかりやれるような状況ではなかったものの、限られた時間で処理・決断できたのは、ずっと将来の企業像を考え、研究してきたからこそ」と振り返ります。
また、「M&A後は組織をあげて整合性のある対応が重要」とのこと。部門ごとに対応がバラバラになってしまう失敗も当初は経験したといいます。
M&A後の施策として面白かったのが、日本的現場力が功を奏した姉妹工場制度という取り組みです。規模などが似た国内工場とファイアストンの工場を姉妹工場として、互いの工場から人を派遣し、ノウハウを共有。当時、アメリカの工場では「工場に入る時には頭なしで入れ」と言われるほど、何も考えずに黙々と作業するというのが当然だったそう。日本の工場に来て、なんでも教えてくれる丁寧な対応や社員家族との夕食や送別会など工場外でのもてなしにファイアストンの社員は感動してくれたといいます。
「M&Aは、2対8」と語る荒川さん。その真意は、決定時と買収後の労力の比率だそう。つまり、買ってからがものすごく大変だということです。
買収当時は、1日1億円もの赤字を出している企業をなぜ3,300億円もの高額で買ったのかと言われてきたものの、結果として今でも世界No.1の座を守り続けているブリヂストン。
最後に荒川さんから参加者に投げかけられた「M&Aの成否は何をもって評価すべきか。指標や買収額などの表面的な数字では評価しきれないのでは?」という問いかけがとても印象的でした。
>>ブリヂストンのM&Aについて詳しくはこちら「M&Aアーカイブス【ブリヂストン】米国で2度の大型M&A 苦難乗り越え高収益体質を構築」