M&A法制を考える M&A市場発展への3つのハードル

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ハードル① 役員雇用の市場

1つ目は、日本の経営幹部は、たとえ株主から見て魅力的な取引であっても、会社の売却に反対せざるを得ないことである。

日本の伝統的な「終身雇用制度」は、段階的に移行している。しかし、PWCの調査によると、日本企業による「ラテラル採用(lateral employee hiring)」(企業や組織の外から専門家を採用すること)の市場は、特に経営幹部レベルでは依然として限定的でしかない。例えば、2018年の日本企業のCEOの97%は「社内」からの昇進であり、「外部」からの採用は3%に過ぎない(米国・カナダでは21%)。そのため、M&Aにより地位を失う可能性のある日本企業の経営幹部は、同業種の同規模の日本企業で同等のポジションを見つけることができない可能性がある。

また、日本の経営幹部の「年間報酬」は欧米に比べてわずかである。例えば、2019年、日本の大企業のCEOの報酬総額は、同規模の英国・ドイツ企業の3分の1以下、同規模の米国企業の7分の1以下であった。

さらに、M&Aに伴い解雇される経営幹部に対する契約上の「ゴールデンパラシュート(golden parachutes)」(会社が別の会社に買収され、経営幹部がM&Aの結果として解雇された場合に、経営幹部に補償される契約に結び付けられた有利な退職金パッケージ)は、日本企業ではほとんどみられない。

そのため、日本の経営幹部は、会社の売却によって職を失った場合、同等のポジションを見つけることができないだけでなく、経済的に独立するか、もしくは、M&Aの際にゴールデンパラシュートによって補償を受けるか、いずれかによって、このリスクから保護される可能性も低い。

ハードル② 取締役の属性と義務

2つ目は、多くの日本企業では、セルサイドのM&A活動に対する構造的なバイアスを持つ「内部取締役(inside directors)」が会社の売却や重要な部門売却に関する意思決定を支配しており、日本の取締役会は、米国と比較すると、客観的に見て一般株主にとって最も価値の高い買収提案者よりも好みの買収提案者を優先することができるという大きな自由を与えられていることである。

日本の上場企業の取締役会において「独立取締役(independent directors)」の存在感が高まっている。しかし、議決権行使会社であるISSの調査によると、レビューしたプライム市場上場企業のうち独立取締役が過半数を占める企業はわずか15%に過ぎず、独立取締役は大多数の上場企業において少数派である。

<プライム市場上場企業の取締役会に占める独立取締役の割合>

出所:ISS(2022)に基づき筆者作成

また、M&A市場が十分に機能するためには、支配株主との取引やMBOなど、経営者/内部取締役が対立する場合に、株主にとって公正価値が確保されるようなガバナンス・規制の仕組みが必要である。そのため、経済産業省はM&A指針を公表し、企業やアドバイザーが指針とする一定のベストプラクティスを示した。しかし、過去数年にわたる日本での一連の取引は、これがさらなる改善を必要とする分野であることを示している。

例えば、デラウェア州法上の「レブロン義務(Revlon duty)」は、取締役会が会社の支配権を売却することを決定した後、株主のために合理的に得られる最高の価格を達成することを求める。

これに対し、日本の会社法上の「受託者義務(fiduciary duties)」は、現金による会社の売却であっても、取締役会が会社の長期的な「企業価値」を最大化する義務を負うことを強調する。例えば、M&A指針は、「企業価値」への貢献度が一般株主の利益と一致しない場合には、客観的に高い現金での買収提案を拒否し、対象会社の取締役が主観的に将来の「企業価値」への貢献度がより高いと考えるより低い現金での買収提案を受け入れるケースがあり得ると解釈できる(M&A指針2.3第一原則、2.4視点1参照)。

この結果、M&A指針が公表された直後、ユニゾホールディングスの競争買収提案の場面で、そのような事態が発生した。ユニゾは、買収提案の評価方針を示す際に、M&A指針を参照し、企業価値と株主価値の双方を重要視し、対立する場合はその調和を図ることを明記し、将来の経営への従業員の参加に関するユニゾの条件を満たさない一部のプライベートエクイティーファームの買収提案を拒否したと伝えられている。

吉村一男 (よしむら・かずお)

フィデューシャリーアドバイザーズ 代表
上場事業会社、大手証券会社の投資銀行部門を経て、現職。平時の株主価値向上のコンサルティング業務、株主総会におけるアドバイザリー業務、M&Aにおけるアドバイザリー業務、投資業務などに従事。早稲田大学ビジネス・ファイナンス研究センター(WBF)の招聘研究員に嘱任し、企業法とファイナンスに関する研究に従事。著書は、「構造的な利益相反の問題を伴うM&Aとバリュエーション―理論と裁判から考える現預金と不動産の評価―〔上〕〔下〕」旬刊商事法務2308号・2309号(共著、2022年)、「米国の裁判から示唆されるわが国のM&Aプラクティス」MARR330号(2022年)、『バリエーションの理論と実務』(共著、日本経済新聞出版、2021年・第16回M&Aフォーラム正賞受賞作品)、『論究会社法‐会社判例の理論と実務』(共著、有斐閣、2020年)など多数。

フィデューシャリーアドバイザーズ HP(https://fiduciary-adv.com/


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