――グレヴィル・ウィンとオレグ・ペンコフスキーが何度もロンドンとモスクワを行き来している様子が描かれていますが、1960年ころにイギリスのビジネスマンが個人的にソ連へ行って営業をしたり、ソ連の貿易使節団がロンドンを訪れたりしていたのでしょうか。
すべて史実に基づいており、ソ連も当時は貿易に依存していました。技術的に他国に先んじているところもあれば、遅れているところもありました。
当時、ソ連とイギリスの間ではかなり多くのビジネスが行われていました。いわゆる外交チャンネルによる繋がりはあり、西側諸国もソ連で商売をすることはひとつの機会でもありました。ソ連側も西側諸国の生産品が必要でしたし、貿易はお互いに必要だったのです。
――当時を知るために参考にした資料や映像はありましたか。
ウィンの使節団の写真がモスクワにけっこう残っていました。ロンドンに使節団として来たペンコフスキーの写真は見たことはありませんが、実際に来ていますし、そういう形を取ることでCIAやMI6とコンタクトを取っていました。
――作品の中で「4分前警報」「核シェルターへの避難」といった言葉が出てきます。ソ連の核の脅威は当時のイギリス国民にも大きな影響を及ぼしていたのでしょうか。
キューバ危機の頃はみんな脅威を感じていて、私の母から聞いた話では教会では核ミサイルが発射されないよう祈る人が大勢いたそうです。核によってすべてが滅ぼされるのではないか。そういう危機感を持っていたそうです。
私は1966年生まれですが、私たちの世代も危機を感じていました。60年代に制作された『WAR GAME』という映像を学校で見せられています。核戦争が起きるとどうなるのかが描かれていて、凄惨な部分を抑えて作られたものでしたが、それでも見ていて怖かった。ソ連が崩壊するまで、イギリスやアメリカでは危機感はまだまだ強かったと思います。
――今でもビジネスマンがスパイのような活動をすることは可能だと思いますか。
MI6やCIAが情報を持ち帰ってほしいと民間人に頼むこと自体、大きなリスクではあったわけですが、当時は諜報部員が捕まったり、撃たれたり、殺されたりということが続いていました。その中でウィンに白羽の矢が立ったそうです。その理由のひとつが、ちゃんと目的があって行き来している人であるということ。今も別の仕事をしながら情報を持ち帰ったりしている人はいるのではないかと私は想像しています。
――もし、監督が海外ロケの際に同じことを頼まれたらどうされますか。
状況によりますが、それが何かということにもよります。でも経験はしてみたいと思っています。映画作りに反映できるかもしれませんよね(笑)。
――これから作品をご覧になる方にひとことお願いします。
見てくださる方に息をのむような娯楽性がありながら、感動する作品であってくれればと思っています。あまり知られていない実話でもあるので、その部分を楽しんでいただきたい。そして希望のある物語だとも思うのです。異なる国の人たちと繋がりを持ち、個人の人生や生活よりも何が大義なのかを考えて行動した人たちの話ですから。
コロナ禍で苦しんでいる私たちの中で、こういう寛大な心を持った人々の物語は必要とされていると私は思います。
取材・文:堀木三紀(映画ライター/日本映画ペンクラブ会員)
『クーリエ:最高機密の運び屋』
<あらすじ>
1962年10月、アメリカとソ連、両大国の対立は頂点に達し、「キューバ危機」が勃発した。世界中を震撼させたこの危機に際し、戦争回避に決定的な役割を果たしたのは、実在したイギリス人セールスマン、グレヴィル・ウィン(ベネディクト・カンバーバッチ)だった。スパイの経験など一切ないにも関わらず、CIA(アメリカ中央情報局)とMI6(イギリス秘密情報部)の依頼を受けてモスクワに飛んだウィンは、国に背いたGRU(ソ連軍参謀本部情報総局)高官、オレグ・ペンコフスキー(メラーブ・ニニッゼ)との接触を重ね、そこで得た機密情報を西側に運び続けるが―。
監督:ドミニク・クック
出演:ベネディクト・カンバーバッチ、メラーブ・ニニッゼ、レイチェル・ブロズナハン、ジェシー・バックリー
原題:THE COURIER
配給・宣伝:キノフィルムズ
提供:木下グループ
2021年/イギリス・アメリカ合作/英語・ロシア語/カラー/スコープサイズ/5.1ch/112分
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公式サイト:https://www.courier-movie.jp
9月23日(木・祝)、TOHOシネマズ 日比谷ほか全国ロードショー
『ピエロがお前を嘲笑う』は、2014年にドイツで公開され大ヒットを記録したサスペンス映画です。トリッキーな仕掛けが満載でエンディングについてはアッと驚くこと間違いなしの展開が待っています。