『クーリエ:最高機密の運び屋』ドミニク・クック監督インタビュー

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一般人の諜報活動がキューバ危機を回避した

『クーリエ:最高機密の運び屋』はキューバ危機の舞台裏で繰り広げられた知られざる実話を基に、核戦争回避のために命を懸けた男たちの葛藤と決断をスリリングに描いた、迫真のスパイ・サスペンスです。

ごく平凡なセールスマンの主人公グレヴィル・ウィンは東欧に出張が多いため警戒されにくいという理由で、ソ連に背いたソ連軍参謀本部情報総局(GRU)高官、オレグ・ペンコフスキーと接触し機密情報を持ち帰る“運び屋(クーリエ)”の任務に就きます。彼は深入りしてはいけないと葛藤しつつも、ペンコフスキーとの友情と信頼を築いていき、いつしか諜報活動に使命感を持ち始めます。

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グレヴィル・ウィンを演じたのはイギリス映画界を代表する演技派俳優のベネディクト・カンバーバッチ。本作では製作総指揮も務めています。オレグ・ペンコフスキーを演じたメラーブ・ニニッゼは当初、KGBの役でオーディションを受けたそうですが、あまりの素晴らしさにペンコフスキー役でオーディションを受けてもらったとのこと。後半にウィンとペンコフスキーは極限状態に追い込まれますが、ベネディクト・カンバーバッチとメラーブ・ニニッゼが圧巻の演技で観る者の心を揺さぶります。

監督は、舞台演出家として名高いドミニク・クック。カンバーバッチとはこれまでにも多くの舞台やTVシリーズで組んでいます。今回は抑制を利かせた演出で、スパイ映画ならではの味わいと平凡な男のスペクタクルを見事に描き切りました。

作品の舞台となったのは1960年代前半のイギリスとモスクワ。任務継続を躊躇うウィンに対し、CIAのエージェントが「フルシチョフが核のスイッチを押し、4分前警報が出ても、家族の下に戻るだけの時間はない」、「息子さんの学校の核シェルターでは守り切れない」と諭しました。イギリスでは一般市民も核の脅威を感じていたのが伝わってくる場面です。

その頃の日本といえば、第一次池田隼人内閣が貿易自由化や所得倍増計画を推し進めており、人々の関心は経済問題に集中していました。核シェルターという言葉も聞いたことはあっても、実際に核シェルターに逃げるという意識を持っている人は少なかったと思われます。

むしろ、中国の核実験の方が身近な脅威で、“放射能混じりの雨が降るから、小雨でも傘を差す”ことで身を守ろうと言われていました。作品から日本とイギリスにおける国民の認識の違いも浮かび上がってきます。

ドミニク・クック監督に作品の舞台となった1960年代後半のイギリスの状況や出演者についてお話しを伺いました。

ドミニク・クック監督インタビュー

グレヴィル・ウィンをカンバーバッチが演じることについて

――イギリスのビジネスマンだったグレヴィル・ウィンが、アメリカのソ連内部の情報源として伝説的な人物だったオレグ・ペンコフスキーとの接触役を務めたと聞き、驚きました。イギリスではグレヴィル・ウィンの名は知られているのでしょうか。

モスクワで逮捕されたことはニュースになったので、その時点から釈放されるまでは報道されていました。ウィンは釈放後も有名人でしたが、経緯をいろいろと話してしまうことを懸念したイギリスの諜報機関のMI6が釘を刺したようで、そこからあまり表舞台には出なくなったと聞きます。私たちの世代にはあまり知られていなく、私は脚本を読んで初めて知りましたが、年配の方に尋ねたところ、みなさんご存知でした。

――脚本を読みながら、グレヴィル・ウィン役にベネディクト・カンバーバッチを想像していたとのことですが、彼のどんなところがこの役に適していると思ったのですか。

まずは素晴らしい役者であるということ。ベネディクトとは何度か一緒に仕事をしたことがあり、また一緒に仕事をしたいと思っていました。次に、年齢が役柄とぴったり同じこと。そして、当時のイギリス人は今よりも感情をあまり表に出さない気質だったと言われるので、そういう抑制的な演技が彼にはできる。そう確信していました。

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――カンバーバッチを主演に決めたことで、彼がアダム・アクランドと立ち上げた製作会社サニーマーチや『イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密』(ベネディクト・カンバーバッチ主演)を制作したフィルムネーションが出資することになりました。出資の期待もあってカンバーバッチに依頼したのでしょうか。

今はスターがいないと映画は製作できない状況です。かつてのように物語が知られているからとか、著名な監督だからというだけで観客が来てくれる時代ではなくなってしまいました。

企画を動かすにはスターを主役に持ってくることが大きな要素です。企画を探すときも、主役格の俳優・女優が興味を持ってくれたり、この役は面白いんじゃないかと思わせるキャラクターがいるかどうかを考えています。

今回はとてもシンプルでした。ベネディクトが主役を引き受けた後で、アメリカの製作会社のフィルムネーションがすぐに参加を決めてくれて、ベネディクトと私がどんな風に作品を作っていくのかを聞いてからは、割とすぐに製作費は集まりました。配給権を作品ができる前に売るプリセールスもいくつか話がありました。

――カンバーバッチには演出として、何か事前に伝えましたか。

ウィンのキャラクターを形成するものの一つに、労働階級の出身があります。貧困というバックグラウンドを持ち、そして当時は発達障害とは考えられていなかったディスレクシア(文字の読み書きに限定した困難さをもつ疾患)を持っておられた。読み書きは不得意だが、人に認められる人物になりたいという野心を持っていて、フラストレーションを抱えていたのです。

物語の中で主人公はいろいろな挑戦をして、自分に向き合う中でどんどん自分の新たなポテンシャルを発見していく。その過程がこの物語の面白いところだとベネディクトに話しました。

とにかく2人でよく話をしました。ベネディクトはフィジカルな役者さん。アクセントやフィーリングをはじめ、キャラクターのフィジカルな生き様みたいなものを掴むための努力をまったく惜しみません。グレヴィル・ウィンの記録映像はかなり残っているので、どんな人物だったのかを理解するために、かなり映像を見ていましたね。ウィンは自分の感情やエネルギーをぎゅっと抑えている人物でしたが、そういう人物だからこそ、見事に表現してくれたと思います。

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1960年代のイギリスとソ連、そして日本

――グレヴィル・ウィンとオレグ・ペンコフスキーが何度もロンドンとモスクワを行き来している様子が描かれていますが、1960年ころにイギリスのビジネスマンが個人的にソ連へ行って営業をしたり、ソ連の貿易使節団がロンドンを訪れたりしていたのでしょうか。

すべて史実に基づいており、ソ連も当時は貿易に依存していました。技術的に他国に先んじているところもあれば、遅れているところもありました。

当時、ソ連とイギリスの間ではかなり多くのビジネスが行われていました。いわゆる外交チャンネルによる繋がりはあり、西側諸国もソ連で商売をすることはひとつの機会でもありました。ソ連側も西側諸国の生産品が必要でしたし、貿易はお互いに必要だったのです。

――当時を知るために参考にした資料や映像はありましたか。

ウィンの使節団の写真がモスクワにけっこう残っていました。ロンドンに使節団として来たペンコフスキーの写真は見たことはありませんが、実際に来ていますし、そういう形を取ることでCIAやMI6とコンタクトを取っていました。

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――作品の中で「4分前警報」「核シェルターへの避難」といった言葉が出てきます。ソ連の核の脅威は当時のイギリス国民にも大きな影響を及ぼしていたのでしょうか。

キューバ危機の頃はみんな脅威を感じていて、私の母から聞いた話では教会では核ミサイルが発射されないよう祈る人が大勢いたそうです。核によってすべてが滅ぼされるのではないか。そういう危機感を持っていたそうです。

私は1966年生まれですが、私たちの世代も危機を感じていました。60年代に制作された『WAR GAME』という映像を学校で見せられています。核戦争が起きるとどうなるのかが描かれていて、凄惨な部分を抑えて作られたものでしたが、それでも見ていて怖かった。ソ連が崩壊するまで、イギリスやアメリカでは危機感はまだまだ強かったと思います。

――今でもビジネスマンがスパイのような活動をすることは可能だと思いますか。

MI6やCIAが情報を持ち帰ってほしいと民間人に頼むこと自体、大きなリスクではあったわけですが、当時は諜報部員が捕まったり、撃たれたり、殺されたりということが続いていました。その中でウィンに白羽の矢が立ったそうです。その理由のひとつが、ちゃんと目的があって行き来している人であるということ。今も別の仕事をしながら情報を持ち帰ったりしている人はいるのではないかと私は想像しています。

――もし、監督が海外ロケの際に同じことを頼まれたらどうされますか。

状況によりますが、それが何かということにもよります。でも経験はしてみたいと思っています。映画作りに反映できるかもしれませんよね(笑)。

監督からのメッセージ

――これから作品をご覧になる方にひとことお願いします。

見てくださる方に息をのむような娯楽性がありながら、感動する作品であってくれればと思っています。あまり知られていない実話でもあるので、その部分を楽しんでいただきたい。そして希望のある物語だとも思うのです。異なる国の人たちと繋がりを持ち、個人の人生や生活よりも何が大義なのかを考えて行動した人たちの話ですから。

コロナ禍で苦しんでいる私たちの中で、こういう寛大な心を持った人々の物語は必要とされていると私は思います。

取材・文:堀木三紀(映画ライター/日本映画ペンクラブ会員)

『クーリエ:最高機密の運び屋』

<あらすじ>
1962年10月、アメリカとソ連、両大国の対立は頂点に達し、「キューバ危機」が勃発した。世界中を震撼させたこの危機に際し、戦争回避に決定的な役割を果たしたのは、実在したイギリス人セールスマン、グレヴィル・ウィン(ベネディクト・カンバーバッチ)だった。スパイの経験など一切ないにも関わらず、CIA(アメリカ中央情報局)とMI6(イギリス秘密情報部)の依頼を受けてモスクワに飛んだウィンは、国に背いたGRU(ソ連軍参謀本部情報総局)高官、オレグ・ペンコフスキー(メラーブ・ニニッゼ)との接触を重ね、そこで得た機密情報を西側に運び続けるが―。

監督:ドミニク・クック
出演:ベネディクト・カンバーバッチ、メラーブ・ニニッゼ、レイチェル・ブロズナハン、ジェシー・バックリー
原題:THE COURIER
配給・宣伝:キノフィルムズ
提供:木下グループ
2021年/イギリス・アメリカ合作/英語・ロシア語/カラー/スコープサイズ/5.1ch/112分
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公式サイト:https://www.courier-movie.jp
9月23日(木・祝)、TOHOシネマズ 日比谷ほか全国ロードショー