いすゞが業務提携をするのは今回が初めてではない。1966年に富士重工業(現・SUBARU)と、1968年に三菱重工業と、1970年に日産自動車と、1971年に米ゼネラル・モーターズ(GM)と、1981年に鈴木自動車工業(現・スズキ)と、2006年にトヨタ自動車と、それぞれ資本提携や業務提携契約を結んだ。
しかし、いずれも現在まで続いているものはなく、三菱重工と日産とは1年後、富士重工とは2年後と短期間で関係を解消。トヨタとは12年、鈴木とは13年、GMとは35年続いたものの、いずれも関係を解消した。
今回のボルボに関しては「自動車業界は100年に一度といわれる大変革期に直面している」としたうえで、両社は商用車業界に新たな価値を生み出していくための最適なパートナーであるという認識で一致したとしている。
すでに、いすゞからUDトラックスに中型トラックをOEM(相手先ブランド生産)供給しており、両社の関係は良好であるといえる。ただ過去の資本提携や業務提携も関係が良好であったからこそ実現したわけで、これまでの提携経験を踏まえ、どのような成果を上げることができるかが、問われることになりそうだ。
いすゞはボルボとの提携の7カ月ほど前の2019年5月に、米国の大手エンジンメーカーのカミンズ・インクとの間で、パワートレイン(エンジンで作られた回転力を駆動輪へと伝える装置)事業に関する包括的なパートナーシップを構築する契約を結んだ。
いすゞとカミンズはそれぞれが持つ技術を最大限に融合して、パワートレインの効率的な開発やコスト競争力の強化などに取り組むという。
いすゞはピックアップトラック(小型の貨物車)から、大排気量エンジンを搭載したトラクターまで幅広い製品を保有しており、ディーゼルエンジンについては他社製車両や産業用エンジン向けにも供給している。
商用車とパワートレインを2本柱に据えるいすゞにとって、ボルボとカミンズが重要なパートナーになることは想像に難くない。
年 | いすゞ自動車の沿革 |
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1916 | 創業。東京石川島造船所、東京瓦斯電気工業が自動車製造を企画 |
1929 | 東京石川島造船所の自動車部が独立し、石川島自動車製作所を設立 |
1933 | 石川島自動車製作所とダット自動車製造が合併し、自動車工業に改称 |
1937 | 東京自動車工業(現・いすゞ自動車の前身)を設立 |
1941 | ヂ-ゼル自動車工業に社名を変更 |
1942 | 日野製造所を分離し、日野重工業(現・日野自動車)を設立 |
1949 | いすゞ自動車に社名を変更 |
1966 | 富士重工業(現・SUBARU)と業務提携(1968年5月解消) |
1968 | 三菱重工業と業務提携(1969年5月解消) |
1970 | 日産自動車と業務提携(1971年7月解消) |
1971 | 米ゼネラル・モーターズ(GM)と全面提携に関する基本協定書に調印 |
1981 | 鈴木自動車工業(現・スズキ)と業務提携(1994年3月解消) |
1988 | 富士重工業(現・SUBARU)と相互製品OEM(相手先ブランド生産)供給で合意(1992年12月解消) |
1994 | いすゞ自動車と車体工業が合併し、いすゞ自動車大和工場が誕生 |
1999 | 第三者割当増資により米ゼネラル・モーターズ(GM)の出資比率を49%に引き上げ |
2006 | 米ゼネラル・モーターズ(GM)との資本提携関係を解消 |
2006 | トヨタ自動車と資本業務提携 |
2013 | いすゞトラックUKを完全子会社化 |
2016 | UDトラックスに中型トラックを供給することで基本合意 |
2017 | General Motors East Africa(GMEA)の株式を取得 |
2017 | いすゞトラックサウスアフリカ社を完全子会社化 |
2018 | トヨタ自動車との資本提携関係を解消 |
2019 | 米エンジンメーカー大手のカミンズとパワートレイン事業に関する包括契約を締結 |
2019 | スウェーデンの自動車大手ボルボの子会社UDトラックスの買収で合意 |