今回は、世界最大手の豚肉加工企業である万洲国際グループの現会長を務める万隆(ばんりゅう)を紹介する。

前身は双匯グループ

万洲国際グループは、2014年に現在の名称になるまでは、双匯(そうかい)グループと呼ばれていた。前身は、1958年に河南省に設立された食肉の加工工場だった。1992年に発売したソーセージがヒットしたのを機に、売り上げを急速に拡大していった。

1998年に深圳証券取引所に上場した。2000年前後からグローバル化を推し進め、2002年には中国で日本ハムと合弁会社を設立した。さらに2013年に米スミスフィールド・フーズを買収した。2014年には香証券取引所に上場した。

万隆は、1940年に河南省で生まれた。1960年、万隆は高校を卒業することなく、鉄道兵として中国人民解放軍に入隊する。入隊後5年が経ち、復員すると、双匯グループの前身である食肉加工工場、「漯河肉聯工場」で働き始める。この工場では、事務員からスタートし、副主任、主任、副工場長へと昇進していった。

選挙で選ばれ、工場長に

1984年になると、中国の経済体制の改革に伴い、食肉加工工場でも改革が必要とされるようになる。万隆は、漯河肉聯工場で選挙により選ばれた初の工場長となる。

当時、工場で働く多くの人が食肉業界においては、素人であり、様々なバックグラウンドを持った人々がいた。当然、やる気のない人々も多くいたため、万隆が工場長になり最初にやったことは、副工場長全員を交代させることだったという。

工場長就任2年目になると、万隆は自ら豚の購入交渉を行うようになる。万隆が決めた1キロ当たりの豚の購入価格は、市場価格より高く設定され、またその価格を周辺の養豚農家に向けて宣伝していた。このことで、豚の価格が上がり、市場を混乱させたため、万隆は中央政府へ説明に行かなければならなかったという逸話も残る。

起死回生へ、ソーセージ事業への投資

工場長に就任した1984年当時、漯河肉聯工場は河南省のトップ10の食肉工場の中で最下位に位置していた。資金は不足し、工場は破産寸前だった。万隆は覚悟を決め、国内で最も先進的なソーセージの生産ラインに投資し、この事業にかけることに決めた。

中国国内の豚肉の販売が不振だった期間、万隆は輸出資格を取得し、ソ連に輸出する豚肉の注文を受けていた。ソ連崩壊後、輸出市場を失うと、万隆は不安に襲われる。

しかしある日、万隆が汽車に乗っていると、ある乗客がソーセージを食べているのを見かけた。これは当時、とても珍しいことだったが、ソーセージ事業に投資するべきだと直感したという。

1992年に、ソーセージは爆発的な人気となり、後の世界進出の土台をつくることにもつながっていった。(敬称略)

文:M&A Online編集部