中国企業の経営者を紹介するシリーズ。今回は、ハイセンスグループ(海信集団)の周厚健(ヂョウ・ホウジェン)会長を取り上げる。

ハイセンスグループは1970年代からブラウン管テレビの製造を始めた。1990年代に入り、テレビの他に、エアコン、洗濯機、冷蔵庫といった白物家電、携帯電話などを製造するようになる。2016年、ハイセンスは中国テレビ市場のシェアで13年連続ナンバーワンを達成。2018年には東芝のテレビ事業を買収した。

研究者から、テレビ工場の経営陣に

周厚健は1957年、山東省で生まれた。1982年に山東大学を卒業し、同済大学の博士課程でエンジニアリング技術の研究員となる。

大学で周厚健を担当した教授は卒業にあたって、本人にアドバイスをしたという。それは、人間関係に左右されないように、ということだった。典型的な理系の人らしく、周厚健は人間関係を築くことが不得意で、いつも言ってはいけないことを言って、周囲を困惑させていたらしい。卒業後のことを心配した教授は、逆に人間関係に左右されず、自分の信じた道を行くよう周厚健に助言したのだ。

1990年、周厚健は「青島テレビ工場」の副工場長に就任する。「青島テレビ工場」はハイセンスグループの前身の工場。1992年、「青島テレビ工場」の工場長に昇進した。1994年になると、「青島ハイセンス(海信)電器公司」という会社になったことに伴い、社長にのぼりつめた。

研究者だった周厚健が、いきなり会社の経営陣になったのには、理由があった。実は、1982年から、「青島テレビ工場」のワークショップに参加するようになっていた。その後、工場長の助手に昇格する。当時、工場長などが参加する経営の学習クラスがあり、会社経営においても様々な数式を用いていることを学んだ。

経営に興味を持った周厚健は、最新の集積回路の研究をすることをやめ、経営の勉強を始めるようになったという。次第に周厚健は経営者の道を歩み始めるようになる。

1995年にハイセンスグループのトップに

1995年には、周厚健は青島電子計器工業公司の会長兼社長、青島ハイセンスグループ社長、青島電子工業管理事務所の社長を引き継ぐ。1997年には、海信電器の株式が上場され、ハイセンスグループのトップに就任する。

周厚健は、管理システム改革を行い、企業イメージを確立すると、ブランド戦略に取り組んだ。1992年、「資本家の目で資本と市場を評価する」という戦略を打ち出した。

その結果、1994年から4年間で、ハイセンスグループの総生産額は4倍近く増加し、利益は5倍以上膨らんだ。従業員の収入は2倍になった。ハイセンスグループは業界で最も収益性の高い企業の1つになったのだ。

1995年、周厚健は企業のトップは企業の長期的な利益のため、技術の進歩と新技術の開発に力を尽くすべきである、と述べている。そして、企業の健全な財務状況を維持すると、合理的な借金のレベルを保ち、資金の回転率を高く維持するという経営を推し進めていく。

周会長に続く人材を輩出

1997年、ハイセンスグループは、人材ネットワークを増大させ、多くの高度人材にとって、魅力的な職場を目指すと宣言した。そして、専門家によって組織される学習型の企業組織を立ち上げている。その結果、周厚健の後を継ぐ人材が輩出されている。

その後、ハイセンスグループの社長は、周厚健から、女性の于淑珉に引き継がれた。その後、于淑珉の定年退職に伴い、2015年から刘洪新が社長に就任している。

文:M&A Online編集部