今回は、創維数碼(スカイワース)グループの創業者で、元会長の黄宏生(ホワン・ホンシェン)を紹介する。

スカイワースは日本ではあまり知られていないかもしれないが、中国を代表するエレクトロニクスメーカーの一つ。1988年に設立され、2000年に香港証券取引所に上場した。

スカイワースは冷蔵庫、洗濯機、エアコンなどの白物家電のほか、スマートテレビを生産・販売している。インドネシアでは、東芝のテレビ工場をスカイワースが買収している。

文革の苦難を経て、華南工学院に入学

黄宏生は、1956年に海南省で生まれた。1972年、高校を卒業したばかりの黄宏生は、文化大革命の上山下郷運動により田舎へ行くことになる。行き先は海南島の黎母山であった。少数民族の黎族と苗族が居住し、密林で、湿度が高い地域だった。

当初、若者にとってはすべてが新鮮に映った。昼間は畑仕事をし、夜になると、ポーカーをしたり、楽器を演奏したりした。しかし、徐々に、日々は退屈なものになっていった。そして、未来が見えない生活の中で、多くの若者が否定的な考えになっていったという。後に、黄宏生は当時のことを振り返り語っている。

ある年、台風が来て、連日雨の日が続き、それが3カ月以上も続いた。黄宏生とその他の若者たちは、家の中に閉じ込められ、飲み水がないため、雨水を飲んで過ごした。その間は、陸の孤島で生活しているようで、大変苦労したという。

過酷な生活環境と日々の仕事の中でも、黄宏生は闘志を失うことなく、学習の精神を維持するため、日記を書いていたという。さらに可能な限り読む本を探して、読破した。

4年が過ぎ、1976年、大学入試の再開が発表される。1978年、黄宏生は広州にある華南工学院(現在の華南理工大学)に入学する。黄宏生は大学入試の再開後に、華南工学院に入学した最初の学生となった。

3度の挫折を味わう

卒業後、「華南電子進出口公司」のアシスタントエンジニアとして働くようになる。1988年、香港に移住すると自分のビジネスを始める。それが、「スカイワース」の誕生だった。しかし、初めから上手くいったわけではなく、三度の挫折を味わうことになる。

当初、電子製品の代理商として、電子製品の輸出入を行おうとしていた。しかし、香港のビジネス環境についてよく知らなかったため、上手くいかず、損失を出してしまう。この時、心身困憊していたため、病気になり、1カ月間入院した。

黄宏生はいくらかの資金を蓄積すると、香港に家電のリモコン製造の工場を設立した。当時のフィリップスのエンジニアと協力して、製品を開発した。黄宏生は、これは当たると信じていたため、一度に2万ユニットを製作した。しかし、結局、コストが高すぎたため、上手くいかず、黄宏生は再び挫折する。

続いて、カラーテレビの開発に着手する。当時、東欧でのカラーテレビの供給が不足しており、見通しは良好であると考えられていた。慎重に検討した後、銀行から借り入れを行うと、40人以上のエンジニアを雇った。1年以上にわたる開発期間の後、製品ができ上がったが、その技術レベルはすでに古く、国際基準を満たさなかった。損失と借金だけが残り、絶望的な状況に陥ることになる。

ついにチャンスをつかむ

そんな中、ついにチャンスをつかむ時がやってくる。1991年、香港では企業の買収戦争が始まっていた。黄宏生は、この企業買収戦争に参加するだけの財力はなかったが、自分の会社を売りに出すことで、勝者となった。

会社の株式の15%を売却し、その見返りに強力な技術サポートを受けることができるようになる。9カ月後、スカイワースは世界有数の第3世代カラーテレビを開発し、ドイツのエレクトロニクス展覧会で、最初の2万件の大口注文を獲得することになる。

その後、スカイワースは中国で3大テレビメーカーの一角をなすまでに成長する。現在の会長は頼偉徳、CEOは劉棠枝となっている。(敬称略)

文:M&A Online編集部