中国企業の経営者を紹介するシリーズ。今回は、レノボ(Lenovo)の創業者で、会長の柳伝志(リュウ・チュアンジ)を取り上げる。

レノボは2004年、米IBMのパソコン部門を買収した。その後、NECや富士通のパソコン部門も手中に収めた。2014年には携帯電話機大手の米モトローラをグーグルから買収した。

1984年に前身の北京コンピューター新技術発展会社を設立

柳伝志は1944年、江蘇省鎮江市に生まれた。北京市第二十五中学校を卒業後、1961年、中国人民解放軍の軍事電信工程学院(現在の西安電子科技大学)に入学する。

大学を出て、柳伝志は1967年に、成都の国防科学院で研究員の職についたものの、文化大革命の影響で、1968年から1970年まで地方に送り出される。湖南省や広東省珠海市の農場などで労働に従事した。後に、農場での重労働は非常に苦痛な出来事であったと語っている。

文化大革命が収まると、1970年に中国コンピューター技術研究所の助手の職を得た。1983年にはこの研究所の幹部に昇進する。

柳伝志はビジネスの世界に飛び込む前、コンピューター技術研究所で13年間、磁気記憶に関する研究に従事していた。研究で賞なども取っていたが、何の実用化もできていなかったという。

1980年にテープレコーダーを製作し、それが陝西省にある航空機試験飛行研究所で使われるようになる。この頃から、柳伝志は海外の製品に触れる機会が増えていくが、海外との技術の歴然たる差を感じたという。

1984年、当時の中国コンピューター技術研究所の所長の支援を受け、「北京コンピューター新技術発展会社」を設立した。この会社がレノボの前身となる。

柳伝志は貿易の実務を学び、外国ブランドの製品を1カ月で何百台も販売するまでになる。1989年にはついに社長に昇進した。この年、香港で自社ブランド製品の販売を始め、1990年からは中国国内でも独自ブランドの取り扱いをスタートした。

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「レノボ」ブランドでパソコン戦争に勝利

1990年代に入り、パソコン業界の盛り上がりとともに、レノボも急速に発展していく。この時期、柳伝志は会社の内部管理体制の整備と、さらなる資金調達のために努力しなければならなかった。利益を上げ、それを資金とする方法では、先は見えていた。

1996年以降、会社はますます成長した。柳伝志は積極的な資金調達を実行し、財務コストの負担軽減につなげた。 レノボブランドのパソコン価格戦争を開始すると、競合他社を打ち負かし、中国国内でパソコンの売上トップを獲得した。

1997年、北京レノボは香港レノボと合併。柳伝志はレノボグループの会長になる。2000年には、レノボグループはIT事業を手がける神州数碼(デジタルチャイナ)を分離する。レノボグループは多角化戦略を見据え、それぞれの事業部門を分社して若手幹部候補にそれぞれ委ねる連邦型の経営方針をとった。これが後に、IBM、NEC、富士通のパソコン部門の買収につながっている。

娘の柳青に注目

柳伝志は、文化大革命の時代に送り出された広東省珠海市で妻となる女性と出会った。娘と息子に恵まれる。娘の柳青は、北京大学とハーバード大学大学院で学んだ。米投資銀行大手ゴールドマン・サックスを経て、中国の配車サービス大手「滴滴出行(ディディチューシン)」の経営陣に加わっている。

レノボの今後の展開とともに、柳青の動静も注目される。(敬称略)

文:M&A Online編集部