医療界に衝撃が走った。国内の心臓手術で数多く利用されている米ジョンソン・エンド・ジョンソン(J&J)の超音波メス「ハーモニックシナジー」の販売が終了したからだ。他社を含めて代替商品はなく、日本の心臓外科医療に深刻な影響を与えかねない。解決策はないのか?
7月10日に日本冠動脈外科学会が厚生労働省で記者会見を開き、内胸動脈の採取に使われる超音波メス「ハーモニックシナジー」の販売終了で、心臓の冠動脈バイパス手術に悪影響が出ると警鐘を鳴らした。
同学会では「冠動脈バイパス手術は国内で最も多く実施されている心臓手術であり、大きな健康被害につながることを懸念している」として、国内メーカーに代替製品の開発を求める必要があると訴えている、
同学会によると、2020年に国内で約1万8000件の冠動脈バイパス手術が実施され、その8割以上の手術で「ハーモニックシナジー」を利用しているという。そこまで利用されているのに、なぜJ&Jは販売を終了したのか。
同社によると「米国でのサプライチェーンの問題」としているが、「ハーモニックシナジー」の出荷先の64%が日本であることから、グローバル企業の同社としては採算が合わないと判断した可能性が高い。
「ハーモニックシナジー」が日本で集中的に利用されている背景にあるのは手術法だ。冠動脈バイパス手術には「オンポンプ」と「オフポンプ」の二つの手法がある。「オンポンプ」は患者の心臓を一時的に停止して人工心肺装置で生命機能を維持しながら手術をする。一方の「オフポンプ」は人工心肺装置を使わず、心臓を動かしたまま手術する手法だ。
一般に「オフポンプ」は患者の身体に対する負担が小さいとされ、適正に実施されれば死亡率の低下や輸血率の低減、入院日数の短縮、医療費の削減などの効果があるとされる。
半面、手術の難易度は高いとされ、心臓外科医の高い手術手技はもちろんのこと、心拍動を部分的に押さえて術野を安定させるスタビライザー、心臓の位置を自由に変えられるハートポジショナー、吻合中の冠動脈血流を維持するシャントチューブ、超音波メスといった医療機器が欠かせない。
日本では心臓外科医の手技レベルが高く、「オフポンプ」が主流になってきた経緯がある。一方、海外では「オンポンプ」が主流で、「ハーモニックシナジー」のような超音波メスは、それほど必要とされていない。
つまり、日本の心臓外科医療が「ガラパゴス化」しているということだ。海外メーカーがガラパゴス市場のためだけに超音波メスを供給するメリットは小さい。もちろんガラパゴス市場とはいえ、日本での販売価格を引き上げればメーカーも利益を確保できる。だが、医療機器の国内価格は厚生労働省が決めるため、こうした市場メカニズムは働かない。
そうなると同学会が訴えるように、国内企業による代替製品の供給を目指すしかない。とはいえ、製品開発や特許などの知的所有権問題、医療機器としての認証などを考えれば、新たに商品化するよりもJ&Jから「ハーモニックシナジー」事業を譲受する方が現実的だろう。J&Jとしても撤退する事業なのだから、譲渡はさほど困難ではないと思われる。
実際、J&Jは企業買収を進める一方で、絆創膏の「バンドエイド」や洗口液の「リステリン」といったコンシューマー(消費者向け)事業を分離するなど事業譲渡にも積極的だ。日本でも内視鏡向け洗浄器事業を医薬品販売のASPJapan(東京都港区)に譲渡している。
文:糸永正行編集委員
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