『南州手抄言志録』は、西郷隆盛が『言志四録』から101条を抜き出して座右の銘としたものです。そのなかから私たちにも参考になりそうな言葉を探しています。その4回目は『言志四録』の四巻目にあたる『言志耋録』から見ていきます。
佐藤一斎は『言志耋録』の「はしがき」に「私は今年で80歳になった。幸いにも目も耳もそれほど衰えていない。息をしている限り学ぶことをやめてはいけない。一条ずつ執筆して本書を編んだ。これを耋(てつ)録とする」と記しています。「耋」には80歳といった意味、高齢の意味などがあります。
この四巻目は80歳からの2年間に記された340条が収められており、西郷隆盛はその中から24条を選んで『南州手抄言志録』に収録していました。
ところで、最後のページ、340条になにが書かれているでしょうか。
吾が躯(み)は、父母全(まっとう)して之れを生む。当(まさ)に全うして之れを帰すべし。臨没(りんぼつ)の時は、他念有ること莫(なか)れ。唯だ君父の大恩を謝して瞑せんのみ。是(こ)れ之(こ)れを終(おわり)を全(まっとう)すと謂う。(『言志耋録』 340 君父の大恩を謝して瞑せん)
●臨終の時
この体は父母が完璧な思いの結果、生んでくれたもの。ということは、その完璧な思いのままに終えるべきだろう。臨終の時は、ひたすら、父母の大恩を感謝して目を閉じるだけで、ほかのことは考えないことだ。終りを全うするとは、こういう臨終のことなのだ。
人についての話ですが、企業(法人)でも言えることですね。M&Aで、買収によって子会社にする方法が新型コロナ禍にあって増えているような印象があります。NTTによるNTTドコモの子会社化、ニトリホールディングスによる島忠の子会社化などが大きな話題となりました。
子会社にすることで、メリットやデメリットがあるわけですが、合併と違い企業そのものは存続します。ただ経営権は親会社に移ります。その意味で子会社になったからといって、その会社がなくなるわけではありません。
倒産、清算以外にも、世に生まれた企業(法人)に、ある意味の終わりがやってくることは珍しいことではありません。生まれたり消えたりといったダイナミックな資本の動きは、経済の活力にもなります。
始め方に比べると終わり方については、切ないのでなかなか日頃から具体的にイメージできないことが多いかもしれません。ですが、人間の死生観と同様に、企業、事業の死生観も、経営者、リーダーにとっては大切な考え方、いわば哲学となるはずです。