ところが、その3年後に敗戦。戦災で日本経済もどん底に落ち込み、今治造船の受注も激減する。従業員の多くは離散し、オーナーの檜垣一族も今治造船を離れた。同社の現場総監督だった檜垣正一氏は、退社後に檜垣造船所を再度立ち上げる。1954年には、ついに今治造船が休業に追い込まれた。
「オール今治」で発足した今治造船の破綻は、地元造船業の崩壊を招きかねない。一度は同社を離れた檜垣氏だったが、さすがにこの事態を座視できなかった。1955年に檜垣造船所を今治造船と合併させることで桧垣氏は経営に復帰...
業績の低迷が続く日本エンタープライズ。M&Aで成長してきた同社は、再びM&AでB2CからB2Bへの方向転換を図る。