【映画批評】ムヒカ大統領が政界引退 いま日本人に伝えたいこと

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© 2020「ムヒカ 世界でいちばん貧しい大統領から日本人へ」製作委員会

元ウルグアイ大統領の目を通して日本と日本人のいまを考える

2020年10月20日、南米ウルグアイの第40代大統領ホセ・ムヒカ氏が政界引退を表明した。奇しくもムヒカ氏の人生観や世界観を伝えるべく日本のTVプロデューサーが製作したドキュメンタリー映画『ムヒカ 世界でいちばん貧しい大統領から日本人へ』が公開中だ。

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日本ではムヒカ氏の演説が世界でいちばん貧しい大統領のスピーチという絵本として出版され、50万部ものベストセラーとなった。軍事政権に抵抗し投獄され、解放後は花卉の栽培を営む傍ら政治活動を続け、やがて同国のトップに上り詰めたムヒカ氏だが、実は大の知日家でもある。

ムヒカ氏は各国首脳が環境問題を話し合う国際会議のスピーチで、経済の発展ではなく人々が幸福を実感できることが最優先であり環境問題の要諦だと語りかけ、世界中に感銘を与えた。

本編のあらすじ

ムヒカ氏のスピーチから3年後の2015年2月、フジテレビの田部井一真氏がウルグアイに向かった。担当する情報番組でムヒカ大統領を取り上げることになり、スタッフのなかで一番若い31歳の彼に白羽の矢が立ったのだ。

現地入りして大統領の視察先でアポなし取材を敢行。気さくに応じてくれたムヒカ氏の人柄と力強い言葉に惚れ込んだ田部井氏は3カ月後、大統領職を退いたばかりのムヒカ氏に来日を要請。翌2016年の桜の季節に来日が実現した。

© 2020「ムヒカ 世界でいちばん貧しい大統領から日本人へ」製作委員会

ムヒカ氏が望んだのは被爆地広島の訪問と、日本の若い世代との対話だった。愛妻を伴って日本各地を訪れるムヒカ氏をカメラが追い、日本の実情を目の当たりにした同氏の表情と言葉、そして若い世代に贈るメッセージをあますところなく伝えていく。

日本人移民の規律正しい働きぶりに驚く

2012年6月、ブラジルのリオデジャネイロで開かれた「国連持続可能な開発会議」。各国首脳が有効な環境対策を打ち出せないなか、終盤に登壇したウルグアイのムヒカ大統領(当時)は「私たちは本当に仲間なのですか?」「インド人がドイツ人と同じくらいに車を持ったら地球はどうなりますか?」と問いかけた。

先進国の大領消費社会を批判するだけでなく、幸福のありようを問う温かな語りかけが共感を呼んだ。公邸住まいを拒み郊外の古ぼけた自宅から通い、自身の給与の大半を寄付するという人柄から、英BBCが「世界でいちばん貧しい大統領(The world's 'poorest' president.)」と名付けた。

取材をする中で、ムヒカ氏が日本に関する知識を持っていることが明らかになる。

なぜ、日本のことを知っているのか?

日本との出会いはムヒカ氏の幼少期にさかのぼる。自宅の近所に日本からの移民家族が何世帯も住んでいて、異国の地で力を合わせて働き続ける彼らから花卉の栽培を学び、彼らの勤勉で規律正しい働きぶりに驚かされたのだという。ペリー提督が日本に来航した時の様子を記した本も読んだと自慢そうにムヒカ氏は打ち明けてくれた。

国連会議でのスピーチのおかげでムヒカ氏には各国から講演依頼が殺到していたが、日本のテレビ局の依頼を快諾したのは、幼少期の思い出に根差した日本への意識と関心があったからだ。

日本人、とりわけ若い世代に贈られたメッセージ

日本滞在の間、ムヒカ氏はとても印象的な言葉を残している。広島の原爆資料館を訪れた時のことだ。見学後にベンチに座り込んだムヒカ氏は、しばらく考え込み、こう声を絞り出した。

ーー「日本に来て、もし広島に来なかったら、それは日本の歴史に対する侮辱だと思う。同時に人類に対しても。(広島を訪れることは)名誉なことであり、義務であると思う」

© 2020「ムヒカ 世界でいちばん貧しい大統領から日本人へ」製作委員会

そして来館者のメッセージ帳に「記憶しよう。未来へ向けて記憶しよう。人間は同じ石でつまずく唯一の動物だと歴史が示しているのだから、記憶することは不可欠だ。我々は学ぶことができたのだろうか」と記した。

東京外語大学の講演では、こんな言葉を学生たちに発している。

ーー「君が何かを買うとき、お金で買っているのではない。お金を得るために費やした人生の時間で買っているのだ」
ーー「人生で一番大事なことは成功することじゃない。歩むことだ。転んでも再び立ち上がることだよ」
ーー「友達を作ろう。同じ考えを持つ仲間を。人生を一人で歩むんじゃないぞ」

講演のあとにムヒカ氏は製作スタッフにこう話していたという。「奇妙なことだが、80歳を超えた老人の言葉を一番理解してくれたのは若者たちだった」と。世代間ギャップが言われる現代に、なんと示唆に富んだ言葉だろうか。

本作の監督である田部井一真氏は、ムヒカ氏の来日直後に生まれた長男に「歩世」と名付けた。「ほせ」という読み方だけでなく、「人生で一番大事なことは歩み続けることだ」というムヒカ氏の言葉を引いている。

ムヒカ氏の言葉や表情は魅力あふれるものばかりだが、それらを単に羅列するだけでなく日本に引き寄せた作品にまとめ上げたのは、ひとえに製作者の「伝えたい」という思いによるものだろう。

田部井監督は本作が意図するところを「ムヒカの目を借りながら、日本人の生き方を追体験すること、ムヒカという鏡に映し出された私たちを見つめること」と語っている。

コロナ禍のもとで人とのつながりの大切さや、私たちの働き方が見直されているいま、劇場に足を運んで観てもらいたい映画である。

文:堀木 三紀(映画ライター)


『ムヒカ 世界でいちばん貧しい大統領から日本人へ』

監督:田部井一真
企画・プロデュース:濱潤
プロデューサー:大島新 堀治樹
撮影:中島大樹
編集:大山幸樹
音楽:石﨑野乃
主題歌:「uzu」三浦透子(作曲・編曲:森山直太朗)
製作:フジテレビ、ネツゲン、関西テレビ
協力:「世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ」(汐文社)
配給:KADOKAWA
© 2020「ムヒカ 世界でいちばん貧しい大統領から日本人へ」製作委員会
2020年/日本/98分/カラー/ステレオ
10月2日(金)よりシネスイッチ銀座ほか全国順次公開

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