【北日本銀行】創業80周年、北東北唯一の第2地銀

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東京都千代田区にある北日本銀行東京支店

平成の“北の合併劇”、ご破算に終わる

かつて宮城県仙台市に德陽シティ銀行という第2地銀があった。1942年4月、宮城県内の宮城無尽、太陽無尽、東北無尽が合併し、三徳無尽として発足した銀行だった。そのM&A及び銀行の沿革は、他の第2地銀と同様の足取りを経ている。1951年には德陽相互銀行に商号変更し、東証第2部、第1部に上場を果たし、仙台近隣市の指定金融機関を受託するまでに業績を伸ばしていた。

ところが、德陽相互銀行では、簿外での保証や反社勢力の関連企業への融資など、いわゆる“乱脈融資”が行われていた。その処理が遅れ、経営は悪化していった。1989年2月、北日本銀行はもちろんのこと、全国の相互銀行が一斉に普通銀行へ転換したが、德陽相互銀行は認められず、実際に普銀転換が認められたのは1990年8月のことだった。そのときの行名が德陽シティ銀行であり、いわば、相銀から普銀への最後の転換組であった。

1994年4月のことだ。德陽シティ銀行は殖産銀行(現在のきらやか銀行、山形市)と北日本銀行との3行合併を発表した。宮城・岩手・山形の3県の第2地銀が合同した体制で、合併後の行名は平成銀行と決まっていた。ところが、この3行合併に北日本銀行が難色を示した。德陽シティ銀行が巨額の不良債権を抱えたままで、そのことに強い懸念を抱いていたからだったとされている。

結局、3行による合併は破談に終わる。そして1997年11月、德陽シティ銀行は経営破綻した。実は1997年11月は、三洋証券、北海道拓殖銀行、山一證券と金融機関の破綻が相次いだ。日本の金融史に残る“緊急事態”だった。

最終的には德陽シティ銀行の営業は宮城県及び隣県などの地銀・信金に譲渡されたが、北日本銀行もその一部を担うこととなった。

現在の北日本銀行はこの営業譲渡もあったためか、また、東北の中核都市である宮城県仙台市で6支店を展開している。2014年には仙台市泉区に泉中央支店を開設。周辺(泉区や富ヶ谷市など)は仙台市中心部から少し離れて工業団地や大型商業施設、またベッドタウンとして宅地開発が進められてきたが、そのローン需要などを見込んでいたようだ。

そして北日本銀行は今年創業80周年を迎えた。記念キャンペーンとして対象商品の契約者に現金プレゼントや宝くじ、金利引下げなど、地域密着、地域顧客に貢献する“金融機関らしい”イベントを実施している。

 文:菱田秀則(ライター)

M&A Online編集部

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