購読料値上げをめぐっては過去、虚々実々の駆け引きが繰り広げられてきた。その結果、部数トップの座が朝日新聞から読売新聞に移るというドラマもあった。40数年前の出来事だ。
読売新聞は1976(昭和51)年3月25日、朝刊1面に「本紙、むこう1年間購読料を据え置き/インフレ阻止へ公共的使命果たす/広告料も当分上げない」という内容の社告を掲載した。当時、73年秋の第一次石油危機後の物価上昇に日本中が苦しんでいた。
「読売新聞140年史」はこう記している。「他社に先駆けて宣言した購読料据え置きは幅広い国民の支持を得た。75年の659万部から76年には705万部まで伸びた。同年12月には朝日を抜き、全国トップに躍り出た。77年1月に朝日に巻き返されたが、2月に再びトップを確保し、以降、1位の座は揺るぎないものとなった」
77年2月には再び、社告で「本紙、さらに当分の間/購読料を据え置き/厳しい不況下全読者に奉仕」とする第二弾を打ち出した。読売の購読料は78年9月まで据え置かれ、朝日は同年3月、毎日は同年6月に値上げした。
今回、最大手の読売が口火を切ったことで、新聞業界全体に値上げへの“戦端”が開かれたといえる。ネット全盛に代表される多メディア化の時代にあって、2019年は値上げをきっかけに新聞の鼎の軽重が改めて問われる1年になりそうだ。
文:M&A Online編集部