巧言令色に「仁」はあるか?

仁がしっかりとあってのこその「HOW」や「WHAT」(Antonio_Diaz/iStock)

 前回も少し触れた、有名な論語の言葉に戻りましょう。

巧言令色、鮮矣仁

「巧言令色鮮(すくな)し仁」という言葉があります。論語の冒頭、巻第一学而第一にある有名な言葉であり、「口先だけ、うわべだけのよさが目立つ人は、仁が少ない」ということです。

 この「仁」とはなんでしょう。「巧言」は相手が気に入るであろうと考え抜かれた言葉。つまりセールストークでありキャッチフレーズです。「令色」は相手に好まれるように愛想よく見せる表情や顔色。つまりビジュアルです。見た目ですね。

 見た目は大事です。わかりやすい言葉で語ることも大事です。一般的には「見た目のいい人、耳に心地よいことをいう人は、心ない人かもしれないので気をつけて」といった警句として知られています。「本質を見抜け」ということです。

 ここで私がもっとも重要だと思うのは「すくなし仁」です。巧言令色は「仁ではない」と断定してはいない点です。

 義や礼を考えれば、むしろ相手にわかりやすい言葉を選び、相手が喜ぶであろうポイントを説明し、礼儀をわきまえて気に入られるような見せ方をすることは、とても重要なことなのです。これも一種の戦い方、折衝のコツです。

 ただ、それだけではダメなのは、すでにみなさんもおわかりですね。仁がしっかりとあっての「HOW」や「WHAT」なのです。

「外に向かう言葉だけをどんなに鍛えたところで、言葉の巧みさを得ることはできるかもしれないが、言葉の重さや深さを得ることはできない」(『「言葉にできる」は武器になる。』梅田悟司 著)

 これは著名なコピーライターの言葉です。仁には、こうした本質が含まれていると考えれば、古くさい道徳教育の殻から突き抜けることができ、いまを生きる私たちにも響くのではないでしょうか。