安全保障の観点から対内直接投資の審査基準を厳格化する機運が高まっている。今春施行される改正外為法でエネルギー会社買収の脅威はなくなるのか。前回に引き続き、エネルギー産業の動向に詳しい東京理科大学大学院 橘川武郎教授に話を聞いた。
ー国内のM&A市場では敵対的買収も活発になりつつありますが、電力関連株に対して買収を仕掛けるという話は聞きません。これは政府の介入を恐れて手を出さないのでしょうか。
それもありますが、もう一つ別の理由があります。東日本大震災で状況が大きく変わってしまい、日本のエネルギー産業に対する魅力が減ったからです。
まず原子力発電所を保有している企業は、それだけでリスクになります。実は電源開発(Jパワー)も、コアコンピタンスの石炭火力発電と送電網の競争力に注目すれば、今でも買収の標的になる可能性は十分にあります。しかしJパワーは建設中の大間原子力発電所がある種の買収防衛策になっているのです。原発を保有する企業は変な意味で安全になってしまいました。
ー原子力事業を展開していない企業はどうですか。
石油は内需が減っているので日本市場に魅力を感じていません。石炭も同様です。世界的に化石燃料の逆風は強まっており、欧米諸国は再生エネルギーに舵を切っています。
ーそうすると、外為法改正云々以前に国内のエネルギー会社の買収脅威はほとんどないということですか。
いいえ、日本のエネルギー会社が買収される危険もなく安泰かというと、そうでもないのです。電力・ガス自由化により、新規参入事業者(新電力)からとんがった面白い会社がいくつか誕生しています。
ー例えば、どんな企業がありますか。
イーレックスは、新電力のなかで最も発電力を持っている企業です。独立系で強力な親会社もいません。同社は大きなバイオマス発電所を複数所有しており、自家電力を販売するので他の新電力と比べて利益率が高いのです。電力自由化から4年経過したところで、独立系では財務体質が強い会社といえます。
同社は固定価格買取制度(FIT)への依存からの自立を目指し、新潟で30万キロワット級のNon-FITメガバイオマス発電所の建設を計画しています。これは「バイオマスのFITは要らない」と実証することになり、非常にゲームチェンジャー的な動きをしていると言えます。
ーFITのコストは賦課金として私たち消費者が負担しています。前回の取材で教授は「脱FITこそが再生可能エネルギーを成長させるカギだ」と主張されていましたね。再生エネルギーは注目されている分野のひとつですが、M&Aはありそうですか?
イーレックスは上場しているので、株式を取得される可能性は常にあります。最近では2018年に光通信が株式を大量取得しました。
ー現在も光通信はイーレックスの筆頭株主です。再生エネルギー以外の分野では、いかがでしょうか。
LPガス業界だと、日本瓦斯(ニチガス)も面白い会社です。自らJPモルガンの資本を入れていた時期もありましたが、ここも独立系です。営業が少々強引なので業界内で暴れん坊と称されるほどなのですが、実は営業力よりビジネスモデルが最高なのです。
ーどのようなビジネスモデルですか。
最初に行ったのは「配送システムの改革」です。通常LPガスの物流は、需要地の近くに充填所を保有し、タンクローリーで運んだLPガスを充填します。ところがニチガスは、基地ではなく「港で直接充填する」という方法を編み出しました。需要地に「デポ」という無人の置き場を設置し、トレーラー(トラック)で運搬することでローリーほどの強い規制の対象にもならず、一挙に配送コストを下げたのです。
ーローリーとトレーラーはどう違うのですか。
高圧ガス保安法の規制が入るか入らないか、という点です。保安法は、LPガスの容器(ボンベ)に規制があるのではなく、ローリーに規制があるのです。ですからローリーをなくすというのは非常に合理的なのです。さらにニチガスは業界内でデジタル化が最も進んでおり、「雲の宇宙船」というクラウド型基幹システムを提供しています。いまは「スペース蛍」という独自のガスメーターでほぼリアルタイムでボンベの残量がわかるようになりました。
ーリアルタイムで残量がわかるメリットとは?
LPガスが都市ガスに比べてコスト高なのは、ガスが残っていようがいまいが(ガス切れを起こさないために)全てのボンベを早めに交換しているからなのです。それを残量がわずかの容器だけ交換すればよいという仕組みになったので、配送コストが大幅に下がるというわけです。
〇参考 各社の業績・財務内容
証券コード | 会社名 | 事業 | 売上高 | 営業利益 | 当期純利益 | 決算期 |
---|---|---|---|---|---|---|
<9517> | イーレックス | 電力ガス供給 | 658億2700万円 | 43億2800万円 | 27億6400万円 | 2019年3月期連結 |
非上場 | F-Power | 電力ガス供給 | 1606億1300万円 | ▲168億5700万円 | ▲184億6200万円 | 2019年6月期 |
<8174> | 日本瓦斯 | LPガス小売 | 1225億7700万円 | 89億2700万円 | 32億6600万円 | 2019年3月期連結 |
非上場 | サイサン | LPガス小売 | 819億2600万円 | 22億2400万円 | 1億5900万円 | 2019年8月期 |
各社有価証券報告書・決算公告(官報)より
ーLPガス業界は、元売りが11社に対し、卸売りが1100社、販売が2万社程度あるそうですが、業界内のサプライチェーンは構築されているのでしょうか。
ニチガスは川崎に大規模な受入基地を作り、LPガス業界全体で一緒に共同配送しましょうと呼びかけているのですが、いかんせん営業力が強力ので、(業界のためといっても)他社が飲み込まれるのを恐れてそう簡単にはゆかない状況のようです。
ー他社との協業は難しそうですね。
先ほど申し上げたように、ニチガスは独立系企業ですが、都市ガスのプラットフォーム事業では50:50で東京電力エナジーパートナー(TEPCOEP)と組んでいます。当初はニチガスの10倍以上の契約件数があるTEPCOEPが9割程度出資する予定だったと聞いていますが、デジタル化の実力を反映して最終的に出資比率は半々となりました。TEPCOEPはニチガスの少数株主ですが、もっと資本を入れたいと思っているようです。
〇日本瓦斯の大株主の状況 2019年3月31日時点
大株主名 | 保有割合 |
---|---|
日本トラスティ・サービス信託銀行(信託口) | 7.1% |
ゴールドマン・サックス(レギュラー) | 7.0% |
日本マスタートラスト信託銀行(信託口) | 4.0% |
東京電力エナジーパートナー | 3.5% |
ゴールドマン・サックス インターナショナル | 3.3% |
日本瓦斯 第65期有価証券報告書より
ーそうすると、ニチガスも買収のターゲットになりやすいですね。
今は株が割高のため買収される可能性は低いでしょうが、(皆が心配している)大電力や大ガス、大元売りでなく、小・中規模の企業を狙ってくる可能性は十分にありますね。しかもこの規模の発電量・流通量だと外為法の「公の秩序」に影響を及ぼすとは言い切れないので、政府の介入も難しいでしょう。
〇審査基準(国の安全、公の秩序)と事前届出対象業種
審査基準 | 事前届出対象業種 |
国の安全 | 武器、航空機、原子力、宇宙関連、軍事転用可能な汎用品製造業、サイバーセキュリティ―関連 |
公の秩序 | 電気・ガス、熱供給、通信事業、放送事業、水道、鉄道、旅客運送 |
ーほかにも先進的な取り組みを行う企業はありますか。
ニチガスのライバルにサイサン(旧埼玉酸素)がいます。特に電気市場への参入に注力しており、小口電力のスイッチング契約数では常にベスト10に入っている会社です。海外9か国に進出しており、特にベトナムではLP小売のシェアが10%とベトナム国内で第3位の企業です。いま、アジア各国では、ものすごい勢いでLPガスが伸びているのです。
ーなぜ都市ガスではなく、LPガスなのでしょうか。
それは「ガスを使いたい」と思っていても、都市化が先行し導管敷設が間に合わないのです。新興国では電話回線がないので、固定電話を飛ばして携帯電話が普及したのと同じ構図です。ちなみにインドネシアのLPガス契約数は5000万世帯。対して日本は2400万世帯です。
ーLPガスが普及した要因は、ほかにありますか。
元来、インドネシアは薪とか石炭、石油などの燃料を使用していました。ところが、そのうちで最も普及していた石油は、市場価格に上限(キャップ)を被せているので、石油会社の赤字分を補填する補助金を支出する必要があり、政府の財政が持ちません。LPガスは熱量が高いので1件あたりの補助金を減らせるということもあり、政府がLPガスの利用をすすめているのです。インドネシアに工場を持っているリンナイが簡単なガス器具を開発したこともあり、一気にLPガスが普及しました。
ーサイサンも狙われやすい会社ですか。
アジア展開という意味では業界内で断トツに成功している会社ですが、ここは乗っ取りを恐れているのか、非上場です。そういう行き方もあります。
ー新電力でもうまくいく企業ばかりではないですよね。
自由化の当初は新電力のなかで一番勢いがあったエフパワー(F-Power)が二期連続赤字の債務超過になってしまいました。外資が狙うとしたら、今申し上げたような、既存ではない新勢力でビジネスモデルが面白いところではないでしょうか。特にLPガス業界は、規模が小さく市場が自由なので、面白い会社が幾つもあります。
いずれにせよ今後は買収リスクを恐れて、非上場化やMBOを実施する企業が出てくる可能性もあると思います。
ーほかに買収リスクとなる動きはありますか。
その観点で非常に面白いのが、自治体のガス事業民営化です。引き金は2018年末の大津市ガス事業(滋賀県)民営化でした。大阪ガスと関西電力が取り合いをした結果、好条件で大阪ガスに売れた*のです。
その様子を見て、自治体が一斉に民営化の動きを始めています。福井市のガス事業は関西電力が買収しました。いま県庁所在地の自治体だけで同時に3つ…需要家数33万件の仙台市と金沢市、松江市が動いています。ところが民営化でどこも外資排除条項を入れてないのです。
*大阪ガス、JFEエンジニアリング、水道機工の3社でつくるコンソーシアムが2018年末に株式の75%を90億円で取得
ー宮城県の仙台市ガス局は公営で最大のガス事業者ですね。黄金株を入れないのは、外為法で保護されると考えるからでしょうか。
さすがに自治体は工業団地もあるので、「外資を排除します」とはいえません。他産業の企業誘致に影響してしまいます。拠って公に外資を排除するという話は出てこないと思います。
いずれにせよ(皆が想定するような)大電力、大ガス、大元売りではなく、中規模で新しい取り組みを行う企業は今後も買収される可能性はあると思います。
聞き手・文:M&A Online編集部 松本ひでみ
1951年生まれ。75年東京大学経済学部卒業。83年東京大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。同年青山学院大学経営学部専任講師、87年同大学助教授。その間ハーバード大学ビジネススクール 客員研究員などを務める。93年東京大学社会科学研究所助教授。96年同大学教授。2007年一橋大学大学院商学研究科教授。15年東京理科大学大学院イノベーション研究科教授。20年より現職。
著書は『日本電力業発展のダイナミズム』(名古屋大学出版会)、『原子力発電をどうするか』(名古屋大学出版会)、『東京電力 失敗の本質』(東洋経済新報社)、『電力改革』(講談社新書)、『出光佐三―黄金の奴隷たるなかれ』(ミネルヴァ書房)、『出光興産の自己革新』 (一橋大学日本企業研究センター研究叢書)、『資源小国のエネルギー産業』(芙蓉書房出版)、『石油産業の真実―大再編時代、何が起こるのか―』 (石油通信社新書)、『ゼロからわかる日本経営史』(日本経済新聞出版)、『イノベーションの歴史』(有斐閣)など。電力会社10社中7社の社史を執筆ないし監修。
総合資源エネルギー調査会委員。経営史学会前会長。