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元ゼネコン社員の三段跳び人生 家業の洋品店を洋食店に大改造(中)

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「苦難の船出」だったと振り返る黒船亭社長の須賀光一さん

黒船亭は和風の店でもなければレストランでもなく、居酒屋でもない。当時、和洋折衷の洋食店は珍しく、銀行は融資を渋った。「黒船亭」社長の須賀光一さんは、新しい船を作ったものの「苦難の船出」だったと振り返る。

ご飯に染み込むおいしさ 

様々な野菜や食材を一週間以上煮込んだデミグラソースがベースのビーフシチューやハヤシライスが好評だ。顧客のニーズをつかむことが経営者の重要な役割。

「職人じゃないから何を見るかといえば、マーケットだけです。ファッションモデルの女性たちを連れてきたら、どういう店を喜ぶのかなと考えたときに、フレンチでもない、イタリアンでもない、ご飯に染み込むおかずのおいしさ、洋食だと思ったんです」。

こういう奇をてらった店はすぐつぶれるよと言われた。黒船ではなく「苦労船」になるという人も。オープンして半年は客が来なかった。かつてのアパレル仲間に相談に行くと「お客さんは不潔感を一番嫌う。豪華さは必要ない。清潔感が大事。バイトを1人雇ってでも掃除を徹底せよ、ゴキブリ一匹いない店にし直せ」とのご託宣。

以来、「清潔第一」をモットーにした経営は順調だ。自分の店を持ちたいという従業員に対して、独立支援をしている。人材育成も社長の仕事。どんな店にするかは自由。現在、料理人は8人いるが、そのうち4人が独立を目指している。メニューから資金繰り、マーケティングまで全部教える。

「自分の店を持てると思ったら、一生懸命働くじゃないですか。飲食業ってきつい仕事だから、そうしないと若い子は来ないですよ」。すでに一人、独立した従業員がいる。(次回は4月18日掲載)

文:大宮 知信

大宮 知信 (おおみや・とものぶ)

1948年 茨城県生まれ。ジャーナリスト。政治、教育、社会問題など幅広い分野で取材、執筆活動をつづける。主著に『ひとりビジネス』『スキャンダル戦後美術史』(以上、平凡社新書)、『さよなら、東大』(文藝春秋)、『デカセーギ─漂流する日系ブラジル人』『お騒がせ贋作事件簿』(以上、草思社)、『「金の卵」転職流浪記』(ポプラ社)などがある。 


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2018/04/16

須賀光一さんは上野の老舗「アダムスキクヤ」の3代目。1902(明治35)年創業の料亭だったのを、1969年に2代目が上野池之端に輸入モノ洋品店を開業。その後2代目の許しを得て、洋食店「黒船亭」を開業した。