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元ゼネコン社員の三段跳び人生 家業の洋品店を洋食店に大改造(上)

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洋品店から洋食店「黒船亭」に業種転換した須賀光一さん

「三代続けば末代続く」といわれる。須賀光一さん(70)は、上野の老舗「アダムスキクヤ」の3代目。1902(明治35)年創業の料亭だったのを、1969年に2代目が上野池之端に輸入モノの洋品店を開業。銀座の店と並び称されるほどの高級店だった。

老舗3代目が新規事業に挑戦 

大学を出て大手ゼネコンの大成建設に入社。新人研修の終了後、当時、銀座2丁目にあった本社企画室に配属され、学校や高層住宅の建設など「タウンを作る仕事」に携わった。

転機は父親の病気。重い心臓病だった。「大成に残るか家業を継ぐか」という選択を迫られた。多くの人に辞めるなと反対されたが、上司の「会社より親を大事にしろ」という一言で退職を決意。結局、6年間勤めただけで「また一兵卒からのスタートとなった」。

洋品店は10年近く続けたが、徐々に経営が悪化、先代社長の父親が黙っていても家賃が入ってくる貸しビル業に転換。ビルの1階から3階までをマクドナルドに貸してしまった。 「せっかく洋服屋になったのに、それも辞めたら僕は失業しちゃうじゃないですか」 

そこで須賀さんは飲食店を始めることを決意。周囲は「包丁も握れない人間ができっこない」と猛反対。大学時代は体育会系だけに負けん気が強いのだろう。「人にそういうふうに言われると、逆に燃えるタイプ」らしい。

結局、1986年に父親の許しを得て、ビルの4階に洋食店「黒船亭」を開業した。売るものが服から食に変わったが、洋品店の経験は無駄ではなかった。(次回は4月17日掲載)

文:大宮 知信

大宮 知信 (おおみや・とものぶ)

1948年 茨城県生まれ。ジャーナリスト。政治、教育、社会問題など幅広い分野で取材、執筆活動をつづける。主著に『ひとりビジネス』『スキャンダル戦後美術史』(以上、平凡社新書)、『さよなら、東大』(文藝春秋)、『デカセーギ─漂流する日系ブラジル人』『お騒がせ贋作事件簿』(以上、草思社)、『「金の卵」転職流浪記』(ポプラ社)などがある。 


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