「三代続けば末代続く」といわれる。須賀光一さん(70)は、上野の老舗「アダムスキクヤ」の3代目。1902(明治35)年創業の料亭だったのを、1969年に2代目が上野池之端に輸入モノの洋品店を開業。銀座の店と並び称されるほどの高級店だった。
大学を出て大手ゼネコンの大成建設に入社。新人研修の終了後、当時、銀座2丁目にあった本社企画室に配属され、学校や高層住宅の建設など「タウンを作る仕事」に携わった。
転機は父親の病気。重い心臓病だった。「大成に残るか家業を継ぐか」という選択を迫られた...
芸術家になる夢が破れて、普通の会社に就職したり実家の商売を継ぐというのはよくあるが、薬師寺さんは真逆のパターン。いったん継いだ家業を捨て、プロの彫刻家になった。