利己と利他、剛毅の心|M&Aに効く論語12

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photo by LoveTheWind/iStock

鏡のような役目を果たす「論語」

もちろん、この世界で、ただ正義を振り回すだけでは人々を動かすことはできないでしょう。

子曰、清矣、曰、仁矣乎、曰、未知、焉得仁、

子の曰わく、清し。曰わく。仁なりや。曰わく、未だ知らず、焉んぞ仁なることを得ん。

巻第三 公冶長第五 19

正しいことをするだけ、自分の欲を剥き出しにしていないというだけでは、清い人ではあるものの、その行動が本当に無私の気持ちから起きているのかわからないので、仁だとは言えない、と孔子は指摘しています。

論語は自分を映す鏡(iridi/iStock)

渋沢栄一は「仁は本来、思いやりや清廉潔白にその趣旨があるのではない」との立場を示しています。渋沢は仁を「済生救民」(さいせいきゅうみん)の心として解釈していたようです。

確かに、自分を清廉な人物と見せたい、と思う人もいるのは事実。だからこそ、見た目でキレイな行動をしているからといって優れた人とは言えないのだと強調しているのです。ビジネスにおいても、生き方においても、本当にその行動が世の中のためになっているかを見なければ、「仁/義」に生きる人かどうかは、判断ができないのというわけです。

M&Aも他のビジネスも、機械的な行為、計算式のような行為からはちょっと外れて、きわめて人間的な部分が大きく、そこには生き方、信条、気持ち、欲望など計算しきれない部分が必ずつきまといます。ともすれば、その計算できない部分は「わずらわしい」「読めない」「わからない」と無視してしまいがちですが、人がどう動くのか、決断するのかを考えたときには、無視できない大切な要素となります。

「論語」は、確かにそれを学んだからといって、すぐにお金儲けができたり、優れたリーダーシップが発揮されるようなノウハウではありませんが、みなさんにとって判断や決断をするとき、自身の成長を促すとき、さらには人と接する際に自身の言動を見直すときなど、さまざまな場面で鏡のような役目を果たしてくれるはずです。

孔子の言葉として流布されているものの中には、出典が不明だったり、原典にはなかったり、大胆な解釈によって別の意味が加えられているものも散見されますので、たまには原典を読んでみて、その中から、みなさんの目にとまった言葉、心にひっかかった言葉を見つけてみてはいかがでしょうか。

※『論語』の漢文、読み下し文は岩波文庫版・金谷治訳注に準拠しています。

 文:舛本哲郎(ライター・行政書士)

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