そんな名村造船所大阪工場・船渠跡に目をつけたのが、アートプロデューサーの小原啓渡氏らアートの現場で活動してきたアーティスト、クリエイターたちだった。
潮に錆び、乾いた建屋が残る船渠、運河、工場跡地…。廃墟趣味といっては安直な発想かもしれないが、造船の街・北加賀屋のそこはかとない佇まいに誘われ、なにわのアーティスト、多種多様なクリエイターたちがいつしか集まった。
彼らのなかの有志はNAMURA ART MEETING実行委員会という組織を発足...
東京・銀座にある銀座和光本館。銀座のランドマークとして長く親しまれたビルだが、服部時計店のビルという人もいる。確かに、ビルの中央には大きな時計塔があり、「SEIKO」の文字が。。。和光、服部時計店、セイコー、エプソンを整理してみよう。
1946年、社会活動家の賀川豊彦が農村時計技術講習所をつくった。農村の若い人に時計の製造技能を学ばせ、時計工場の設立を狙ったものだ。長野県箕輪町の龍水社は、その修了者が生んだ時計工場。龍水社の掛け時計は一時代を築き、リズム時計に吸収された。
色絵磁器として国内はもちろんのこと海外でもつとに有名な石川県の伝統工芸「九谷焼」。その歴史は幾度かの栄枯盛衰を重ね、また分派も行われ、いわば数多くの経営統合や分散を経て現在に至る産業技術遺産といえる。その産業技術史を綾を振り返ってみた。