全国展開からローカルフードに転換

日産スタジアム炒飯弁当
日産スタジアム限定弁当を販売するなどローカル路線を鮮明に

崎陽軒はずっと順風満帆だったわけではありません。

1964年に新幹線が開通すると、窓越しでの販売ができなくなったために売上が減少したのです。その対策として、2年後に真空パックのシウマイを発売。賞味期限が伸びたことで、全国の小売店で販売できるようになりました。売上は一時的に回復します。

しかし、既存のファンなどから、どこにでも売っていることに反対の声が上がりました。現社長の野並直文氏は、当時の社長であり父親の豊氏から、全国展開かローカルビジネスかの決断を迫られたといいます。

このとき、横浜の街を中心とした地域密着型経営を選択しました。全国の小売店での販売を段階的にとりやめていったのです。シウマイ弁当は限られた場所でしか販売しない付加価値を創出し、末永く地元民に愛されるようになりました。

実は横浜で作られた弁当と、東京で作られたものでは大きな違いがあります。それは横浜のシウマイ弁当は、紙のヒモがかけられていること。東京のものは、被せ蓋が使われています。

このヒモは一つひとつ手作業でかけています。大変なコストがかかりますが、野並社長は、「決して変えてはならないものだ」とテレビ番組で断言しています。その理由は、「顧客がそこに価値を感じている」ためだといいます。

効率化が叫ばれる中でも、崎陽軒は地元の人々の声に耳を傾け、昔ながらのスタイルを貫いてきました。それがファンを引き付けて、リピート購買に結びついているのです。

N国党によるシウマイ弁当の不買運動は、ファンの思わぬ反対にあってあえなく失速。立花氏は「僕の勇み足だったことは否めない。僕は崎陽軒のシウマイが大好きで、好んで買っている」などとコメントしました。

支持を広げ、党の結束を図るために、立花氏は次々と仮想敵を作り出しているように見えます。今回の崎陽軒も、マツコさんから軸をずらして新たな敵を作り出した術策の一つ。しかし、地元のファンを大切にしてきた崎陽軒の前で、路線変更を迫られる形となりました。

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