ホテルニューグランド 西洋の「おもてなし」を紡ぐ|産業遺産のM&A

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横浜・山下公園前に瀟洒な佇まいを見せるホテルニューグランド

西洋食文化の発祥地に

落ち着いた造りの外観。今もホテルのカフェでは、ア・ラ・カルトを手軽に楽しめる。

ホテル内は英国風の格調とパリの下町の気安さに包まれ、さらにレストランは西洋諸国の料理を自由に選べるコース以外、一品ずつのア・ラ・カルトを尊重する空間だった。そのレストランからは、シーフードドリア、ナポリタン、プリンアラモードなど数々の西洋仕込みの“庶民派料理”が生まれ、日本各地に広がっていった。

また、サリーワイルらが育てていった料理人、メートルも、ホテルオークラやプリンスホテルグループなど日本の有数のホテルで活躍した。産業遺産というと多くは建造物に焦点があてられるが、こうした食文化やサービス面でもホテルニューグランドは文化の発祥地・発信源だったといえる。

ちなみに、ホテルニューグランドを設計したのは当時30代の新進気鋭の建築家であった渡辺仁である。のちに銀座の服部時計店(和光)、東京国立博物館本館などを手掛けた建築家として知られる。ホテルニューグランドに関しては、ルネサンス様式にアールデコのエッセンスを加えた建物で、堅牢な石積みも大きなアーチ窓も細かな彫刻も、高級さとともにシックな趣がある。

創業年である「1927」の数字が刻まれたエンブレムも象徴的だ。玄関を入るとすぐ石造りの大階段があり、2階をフロント・ロビーとしていたことがしのばれる。チャールズ・チャップリンも、ベーブ・ルースも、ジャン・コクトーも、ダグラス・マッカーサーも、日本を訪れた際にはホテルニューグランドに滞在した。日本人では、作家の大佛次郎もよく利用したようだ。1931年から約10年間にわたり、ホテルニューグランドは大佛の創作活動の場であった。

関東大震災から20年、ホテルニューグランドは第2次大戦からは免れた。真偽のほどは定かではないが、米軍がこのホテルを「標的からはずせ!」と指令していたからだといわれている。また、占領軍によるホテルの接収は、終戦後1952年4月にサンフランシスコ講和条約が発効し日本が主権を回復するまで、7年間続いた。

JR東日本ホテルチェーンにアソシエイトホテルとして加盟

震災と戦禍の2つの災厄を乗り越え、ホテルニューグランドは1991年に新館「ニューグランドタワー」を新築完成させ、1992年に本館は横浜市認定歴史的建造物となった。だが、ただ伝統を背負っているだけのホテル経営では、厳しさを増すホテル経営の荒波は乗り越えられないはずだ。そこでJR東日本が動き出した。

JR東日本は横浜地区の拠点形成を目的に2003年にホテルニューグランドの株式の一部を取得し、2004年には業務・資本提携も締結している(2019年11月期には3.72%の持株比率で大株主4位)。また、ホテルニューグランドはJR東日本ホテルチェーンにアソシエイトホテルとして加盟。そして、2007年には経済産業省が選んだ近代化産業遺産の認定を受けた。

ホテルニューグランドは2019年11月期で年商51億2400万円、社員約300人。売上高は業界内で第26位、従業員数では第19位(業界動向サーチ、2018-2019年)で、いわば中堅規模のホテルだが、最近では日本のクラシックホテル(9ホテル)との連携も強化。開業当時から培われたクラシックホテルの真髄は、脈々と引き継ぎつつ経営の改革を進めている。

文:M&A Online編集部

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