ホテルニューグランド 西洋の「おもてなし」を紡ぐ|産業遺産のM&A

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横浜・山下公園前に瀟洒な佇まいを見せるホテルニューグランド

巨大船会社の人脈を生かして

ホテルニューグランデのエンブレム。「1927」と創業年が刻まれている。

ホテルニューグランドの経営の舵をとったのは実業家の井坂孝という人物だ。明治期に経営破綻した七十四銀行を整理し、受け皿となる横浜興信銀行(現横浜銀行)を設立して頭取に就いた。東京瓦斯社長、日本工業倶楽部理事長、日本経済連盟会会長、日本証券取引所総裁などを歴任した人物としても知られる。関東大震災前には横浜商工会議所会頭を務めていた。

井坂はホテルニューグランド再興にあたって、自身が代表を務めていた東海汽船出身の土井慶吉という人物を招いた。東海汽船は1886年に浅野財閥の浅野総一郎が創業。日本郵船や大阪商船(現商船三井)と並び、日本を代表する船会社であった。土井はその東海汽船のサンフランシスコ支店長として、大型船の建造はもちろん航路の開設、就航に活躍していた。「彼なら外国語はもちろん西洋の文化風習も、建造物も理解できる!」と井坂が考え、白羽の矢を立てたのも、当然の成り行きだといえるだろう。

土井はホテルニューグランドの日本人による再興にはこだわらなかったようだ。総支配人として招いたのはスイス人のアルフォンゾ・デュナン。また、料理長には同じくスイス出身で、ディナンとともに働いていたサリー・ワイルを招いた。外国に物怖じしない横浜気質といえばそれまでかもしれないが、復興を自分たちの手で! と日本人にこだわりがちな地元住民にとっては、まったく斬新な手法であったかもしれない。

西洋の支配人・料理人の手腕により、ホテルニューグランドは生粋ともいえる西洋のホテルに再興していった。当時のキャッチフレーズは「最新式設備とフレンチ・スタイルの料理」(ホテルニューグランド・ヒストリーより)ホテル玄関に英国風の制服を着たドアボーイを立たせたり、人力車を常駐させたりといったサービス、とかく格式が高くなりすぎるマナーを避けるような様式を重視した、まさに西洋の「お・も・て・な・し」を見せつけたのがホテルニューグランドだった。

ちなみに、ホテル料理人の人脈はいくつかの系譜があるが、そのうちニューグランド系の創始者ともいえるサリー・ワイルは日本に約20年間滞在し、 弟子たちから「スイス・パパ」と呼ばれ親しまれた。日本政府は1973年、彼の文化的業績に対して勲5等瑞宝賞を贈っている。

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