ところが、である。グランドホテルは横浜復興のシンボルとして、まったく別の経営陣のもと、大きな狼煙を上げた。中心になったのは当時の横浜市長・有吉忠一と地元政財界の重鎮たち。
有吉は内務官僚として知られ、いくつかの県の知事も歴任し、関東大震災直後の1925年に第10代横浜市長となった。有吉のもと、地元政財界のほか市民も加わって資金をかき集め、震災直後は“テントホテル”と揶揄されていた外国人向けホテルを蘇らせたのだ。当時、外国人向けホテルの不足は横浜にとってもまず解決すべき課題であり、復興は急ピッチで進んだ...