ホテルニューグランド 西洋の「おもてなし」を紡ぐ|産業遺産のM&A

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横浜・山下公園前に瀟洒な佇まいを見せるホテルニューグランド

再興のシンボル・希望の星として竣工

ところが、である。グランドホテルは横浜復興のシンボルとして、まったく別の経営陣のもと、大きな狼煙を上げた。中心になったのは当時の横浜市長・有吉忠一と地元政財界の重鎮たち。

有吉は内務官僚として知られ、いくつかの県の知事も歴任し、関東大震災直後の1925年に第10代横浜市長となった。有吉のもと、地元政財界のほか市民も加わって資金をかき集め、震災直後は“テントホテル”と揶揄されていた外国人向けホテルを蘇らせたのだ。当時、外国人向けホテルの不足は横浜にとってもまず解決すべき課題であり、復興は急ピッチで進んだ。

山下公園を正面に臨み、横浜港に面した山下町に“新生グランドホテル”が竣工・開業したのは、震災の4年ほどのちの1927年のことだった。当時の山下町には瓦礫こそかなり撤去されてはいたものの、新しい建造物がほとんどなく、まさに焼け野原のようだった。往時をしのばせるホテル、西洋建築は港街横浜の希望の星でもあった。

“新生グランドホテル”の正式名称はホテルニューグランド。横浜市民の公募によって名づけられたとされている。今から見れば「新しいグランドホテル」と極めて素朴・明快なネーミングだが、その素朴さ明快さに、地元横浜の復興と希望の思いが深く刻まれていることを感じる。

ちなみに、会社としてのホテルニューグランドの社名は「株式会社ホテル、ニューグランド」。めずらしく社名に「、」がついている。今もその社名を変わらず使用しているが、その正確な理由はわからないようだ。

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