そしてこの行動を最終的に決定づけるのは「信」です。
信は、「嘘をつかず約束を守る」こと(『論語』岩波文庫版・金谷治訳注。巻第一 学而第一 十三の注より)。
さて、みなさんは、「嘘」を学んだことはありますか?
「嘘つきはいけない」「正直に生きよう」と言うのは簡単ですが、私たち人間は嘘をつきます。嘘をつくものなのです。嘘をただ「いけないこと」としてしまえば、嘘を学ぶことはできず、私たちはいつまでたっても衝動的に嘘をついてしまうことから逃れられないでしょう。
嘘には、大きく2つの意味があります。1つは事実ではない言動のこと。もう1つは相手を騙すための言動です。前者は無知や勘違いによっても起こりますが、後者は意図的です。
嘘をつかないためには、自分の言動が嘘にならないように考えをきちんと整理しておくことが含まれます。どうなったら嘘になってしまうのか、わかっていなければ嘘を回避できません。
嘘を知らなければ、信は得られないのです。この点で「私は一度も嘘をついたことはない」と言い切ってしまうとパラドックスに陥ることになります。むしろ「私は嘘をついている」と言うほうが正直さの証でしょう。
では、嘘をつかない正直さがあれば信は成立するでしょうか? 相手はあなたの正直さに感動して、高い信のある人と評価するでしょうか?
嘘をつかないことと、正直であることは違います。「バカ正直」という言葉があるように、ただひたすら正直なだけでは、社会はうまく回っていかないからです。かといって嘘もつきたくない。では、どうするか。それが「信」なのです。