高齢社会に突入した日本では、長寿命化と並行して認知症の方も増加することが懸念されます。大株主が認知症になってしまうと、株式の売買に支障が出たり議決権が行使できなくなったりします。会社の経営者が認知症になると、株主総会が開けなくなり、株主総会決議が必要な重要な決定はできなくなるケースもあります。

このように高齢化した日本では、M&Aを行う際に認知症に対する正しい対処をしておかないと思わぬ落とし穴にはまってしまう危険があるのです。今後の高齢社会におけるM&Aの心得について、相続・成年後見関係の手続きを数多く手掛ける弁護士・西浦 善彦氏に話を聞きました。

任意後見人制度活用で、判断能力低下後も代表者意思を発揮

代表者が予期せぬアクシデントで死亡すると、会社の意思決定や重要な事務が滞り、経営の大きな支障となってしまいます。会社を守るためにも、相続トラブルを回避するためにも、代表者の突然の死亡に備えた危機管理が必要です。

<Case2>社長が健全な状態で亡くなった後、認知症の妻と2人の息子が残された。

 ・息子2人で話し合って勝手に遺産を分割し、遺産分割協議書に母親の印鑑を押した。
 ・その後息子たちが株式を第三者に売却した。
 ・買った方はそのような事情は何も知らない
  ⇒取引の効力はどうなるか。

―成年後見人関係で起きた相続トラブルにはどんなものがありますか。

よくあるのは以下のような事例です。

<例1>株式譲渡
事業承継のために株式譲渡したいが、株式の所有者である父親が施設に入っていて認知症のような状態だという方がいました。そのままでは株式譲渡契約が結べないので成年後見人を立てるよう説明したのですが、手続きでもたついているうちに父親が亡くなってしまい、相続で株式がバラバラになったため株式譲渡によるM&Aは不可能になってしまいました。

<例2>会社の引継ぎ
会社の引継ぎにおいて、ぎりぎりの段階になってから相談に来る方が多いです。ご本人が入院中だとこちらもスピード感がわからないまま手続きを進めざるを得なく、相談に来た数日後に認知症の予兆があることから成年後見人の設置を検討したのですが、数日後に亡くなられてしまい、結局株式は分散してしまいました。

<例3>影響力の行使
同族会社の場合、社長が元気で存命のうちは長男が影響力を発揮できたとしても、社長が認知症になったり、亡くなった段階で、例えば、次男らの専務的なポジションの人たちが発言権を増して敵対的に高圧的な対応をしてくることがあります。2代目を決める時やM&Aとして他社に売却する時も、それまではある程度社長の権限でできたものができなくなってしまいます。敵対者たちがある程度の株式数を持っているとすると、会社法上の対抗処置を講じてくるため非常に厄介な状態になり兼ねません。

―相続人が認知症の場合、取引の効力はどうなるのでしょう。

Case2の場合、見た目上は何も問題がありませんので登記も株式譲渡もできてしまいます。息子が母親の成年後見人になり、母親がそのまま亡くなって息子たちに財産が移るような場合は特に問題は生じないでしょう。しかしそこに利害関係のある第三者が現れて何か問題が勃発した時に、遺産分割協議は無効であると主張されるリスクがあります。

日常的なことは当人である社長が判断能力のあるうちにしっかり決めておかなければいけません。社長が認知症になってしまうと成年後見人を就けたとしても人間としての影響力行使はできなくなってしまい、法的問題に移行してしまいます。

そこから専門家が介入したとしても、揉め事が尽きないですね。時間のかかる手続きで場合によっては間に合わなくなるリスクもあるので、成年後見人の手続きは早くやった方が良いです。

―遺言が無い場合、遺産はどのように分配するのでしょうか。

遺言がない場合、法律上は被相続人の死亡と同時に観念的には預金も株式も全ての財産の価値が持ち分割合に応じて分けられます。全ての財産が暫定的に項目毎に分割され、財産によっては共有状態になるのです。

遺産分割協議とはそれらの財産をまとめて、当事者同士で話し合って分け合い、協議書を作成することで初めて分割が終わった状態になります。

もし遺産分割が終わらない場合は暫定のまま共有状態が続くことになります。 Case2の場合、遺言書がない時は法定相続分で分割しますので、全て譲渡したはずの株式は母親の相続分の譲渡が無効となるリスクが残ります。

―遺産分割協議中に株式の売却はできるのでしょうか。

まず、遺言がなかった場合でも、御自身の法定相続分は売れます。一方、遺言があった場合は、遺言と同時にその方に遺言で指定された割合の株式を取得できますので、かかる割合部分は売却できます。

相続税は死亡してから10か月以内に納付しなければならないわけですから、準確定申告の必要は生じますが、経営者の家族で財産のほとんどが自社の株だった場合など、相続税支払いの為の売却の必要が生じ得るでしょう。なお、遺言がない場合でも、相続人全員からの同意があれば、株式を他者に売却し、売却代金を分割することもできます。

―遺産分割協議書が無効となるのはどのような場合ですか

遺産分割協議は相続人が全員参加しなければ無効となります。そのため、Case2の様に相続人が認知症であるなどを理由として、正常な第三者が本人の署名を偽造して、協議書を締結してしまった場合は無効です。

また、後日、他にも法定相続人がいたことが判明した場合は、その方が参加していない遺産分割協議書は無効となります。また、立証は難しいと思いますが、騙されて書いてしまったようなケースも取り消しの原因になります。

―遺産分割協議が無効だと知らずに既に第三者が購入した株式はどうなりますか。

遺産分割協議が無効だとしても、株式は自分の持ち分については単独で売ることはできるため、売主がプロパーとして持っていた割合については有効です。しかし、他の相続人の持分を売却した場合、遺産分割協議書が無効だとされた場合には本来の持ち分以外の部分は「無権利者の売買」=「他人物売買」となり、他の相続人の持分部分の株式を取得できません。