この帝国鉱泉とはどのような会社であったのか。『三ツ矢サイダー』を、商品の歴史ではなく製造元の会社の変遷という視点で見てみよう。
帝国鉱泉の設立は明治後期の1907年。明治初期、政府は殖産興業の名のもとに多くの外国人技術者を日本に招いた。この時期、全国で外国人技術者の技術指導により建造物が建てられ、製造機器が開発され、それが産業遺産と呼ばれるようになった...
福岡県大牟田市にある旧三川電鉄発電所は三池炭鉱の専用鉄道線のための変電所だった。役目を終えた変電所の建物。解体されるかに思われたが、新たな買い手が見つかった。さらに次の買い手も。レンガ造りの産業遺産は、まさに生きた産業遺産として歴史を刻む。
1970年代まで、岩手・花巻と西郊の花巻温泉郷を結ぶ花巻電鉄は多くの行楽客を乗せて走っていた。花巻温泉郷を「東北の一大リゾート地に!」と目論んだのは、当時の岩手経済界のドン・金田一国士。金田一の見た鉄道とリゾートの夢は果たして実現したのか。
岩の原葡萄園は「日本のワインぶどうの父」と呼ばれた井上善兵衛が郷土の越後高田(現新潟県上越市)に創業した葡萄園。そのぶどう園が国産ワイン発祥の地のようにいわれたりもするが、甲州ワインの先達、各ワイン会社の系譜も入り乱れ、その話は複雑だ。