M&A時の企業年金の債務評価

さまざまな企業年金制度が存在するが、確定給付型年金(DB制度)と確定拠出型年金(DC制度)が一般的だろう。DB制度は社員の退職時に一時金を支払い、DC制度は社員が在職中に資産運用し、退職する際に資産残高を引き出す。

A社とB社は同じ評価?

仮定のケースだが、以下のような例を考えてみよう。

Aという会社とBという会社がある。この二つは全く同じ事業、同じ財務状況であり、唯一の違いは保有する企業年金・退職金制度の状況である。

A社は退職給付債務100億円の退職金制度を持ち、B社は退職給付債務1,000億円、年金資産900億円のDB制度を保有する。

この場合、A社とB社の企業評価は異なるべきであろうか?

両社とも、会計上の年金の影響は、退職給付債務と年金資産の差額である退職給付引当金額、同じ100億円である。

M&Aの本など読むと、教科書的には「会計上の債務の計算前提等が妥当か」というデューデリジェンスは行うものの、「退職給付引当金額が妥当な評価方法か」という点は考慮せず、単純にデット・ライク・アイテム(負債性項目)として企業価値評価に織り込むことが多いように見受けられる。

しかるに、感覚的には企業年金の影響がA社よりもB社の方が大きいように思えるし、同じ額ならば買い物としてはA社の方がより魅力的に映る、と感じられる読者の方も多いのではないだろうか。

これは以下の二つの理由により説明できる。                                                                                                

1.DB制度のリスク度合いの反映ー「比較可能性」を重視する

年金債務を会計上で評価するうえで重要なのが、「最善の見積もり」という考え方である。これは保険契約の評価などではおなじみの考え方であるが、要は、実際の債務額が上振れする可能性と下振れする可能性が等しくなるような額、ということである。すなわち、楽観的でも保守的でもない、見積もり額ということになる。

これは会計基準の重要な考え方の一つである「比較可能性」の機能を重視するからである。

つまり、財務諸表を作成する際に、債務評価に主観的な保守性や楽観性が入ると比較可能性が損なわれるからだ。

退職給付債務もこの原則に基づいて、最善の見積もりで算定されている。ところが、債務の上振れ確率と下振れ確率が等しくなる、という事は、50%の確率で退職給付引当金が増大する、ということである。そのため、この下振れリスクに対するクッションとして、DB制度を運営する母体企業は、その自己資本の一部を割り当てることになる。

上記の例では、A社よりもB社の方がよりリスクの高い退職給付制度を保有すると考えられるため、B社の方がより多額の自己資本を割り当てることになる。結果、年金の影響を控除した後の純資産は、A社の方がより高い評価となると考えられる。

2.ゴーイング・コンサーンで評価する

上記で述べた比較可能性とともに、会計評価の重要な考え方である「ゴーイング・コンサーン(継続企業の前提)」も、年金債務を評価するうえで重要になる。会計上の債務評価額である退職給付債務は、原則当該制度が今後も継続する前提で債務評価されている。

ところが、国内外に関わらず、多くの企業ではDB制度がもたらす財務リスクを避け、DC制度等に移行する動きが加速している。

M&Aの現場でも、多くのクライアント企業が、原則DB制度あるいは債務承継しない、という方針の下、売り手と交渉するケースが増えてきている。

このような方針を持つ企業が買い手の場合、DB制度の債務評価をゴーイング・コンサーンである退職給付債務で行うのは不適切であると考える。なぜならば、そのような企業がやむなくDB制度で承継した場合でも、買収後のどこかのタイミングで、このDB制度の閉鎖や清算、年金バイアウト等を考えることが想定されるからである。

買い手の立場に立って考えると、そういった清算やバイアウト等に要する追加費用(=労使交渉における上乗せ給付や、バイアウトの際に保険会社に払う追加プレミアム等)を適切に買収価格に織り込んでおく必要がある。

いわば、「買収前に清算or バイアウト」と、「買収後に清算or バイアウト」というシナリオがイコールになるように、企業価値評価を清算価値ベースで行うという事になる。そのため、より大きな債務とより複雑なDB制度を持つB社の方が評価が低くなるのも納得できる。

バイアウト価格で評価すべし

なお、上述のとおり、年金バイアウト市場が確立されている国では、退職給付債務ベースではなく、バイアウト価格で行う事がより「正しい」と言える。

マーサーでは世界各地での会計債務に対するバイアウト時の追加保険料を概算した指標を図1のとおり発表している。これによると、会計基準ベースよりいずれの国でもおよそ10%から15%ほど(2019年9月基準)、追加でかかることが分かる。

図1 会計上の債務評価を100%としたときの要バイアウト価格推計(現在の受給者のみ)

会計上の債務評価を100%としたときの要バイアウト価格推計
©MERCER 筆者作成

無論、最終的な価格は売り手との交渉次第であるため、バイアウトベースでの評価が難しい場面もあるかもしれない。

しかし、覚えておいてほしいのは、バイアウトコスト未満で買い手が債務を引き取ってくれることは、売り手にとっては大変お得な取引だ、という事である。

本来、売り手がそのような年金債務を清算しようとすると、追加で10%以上の保険料を払う必要があるところ、会計上の債務で評価した場合は、買い手がタダで引き取ってくれている、という事になる。

つまり、バイアウトベースでの評価を主張することは、売り手の観点からも決して理不尽な要求ではない、ということだ。

文:北野 信太郎(MERCER グローバルクライアントマネージャー シニアプリンシパル)